【FTCJ子どもアンバサダーリレーコラム】Vol.17「学ぶということ」

当団体の子どもメンバーの代表であるFTCJ子どもアンバサダーによるリレーコラム第17号です!

子どもアンバサダー2021-22による7つ目のコラムです!

 

リレーコラムって?

FTCJ子どもアンバサダーが執筆したコラムを2週間ごとに投稿していきます。
テーマは「子どものわたしが伝えたいこと」。
子どもアンバサダーの皆さんに自由に発信していただける場であり、
自分が感じていることやアクション、やってみたいこと、興味のあることなどから自分でテーマを見つけ、読者の皆さんに伝えたいことを書いていただきます。
《リレーコラム一覧》


 〜子どものわたしが伝えたいこと〜
<リレーコラム Vol.17「学ぶということ」>

 

今回の執筆者は、中学生のつかささんです。

つかささんは、日本の難民・入管問題について仲間と意識調査オンラインワークショップを開催したり、
せたがや国際メッセに登壇して自分の経験について話したりと、様々な活動に関わっています。
また、今年2022年3月28日には、「子どもの権利条約をさいたま市立中学校の生徒手帳に載せる必須項目にしてほしい」という政策提言を、さいたま市教育委員会の細田教育長に対して行いました。

【報告】子どもメンバーがさいたま市教育長を訪問しました

今回は、「学ぶということ」についてコラムを書いてくれました。

つかささんにとっての学ぶということとは…ぜひご一読ください!

 

つかささんの言葉

「こんにちは!FTCJアンバサダーの中学3年生、つかさです!
今回は一人の受験生として感じたことをお話します。
同じように受験生の方や、これから受験を迎える方々に私の想いが少しでも伝わったら嬉しいです。」


「学ぶということ」

 

みなさんは「学ぶ」と聞いてどのような光景を思い浮かべますか?

 

学校に行って授業を受ける、机に向かって一生懸命問題を解く、定期テストや模試を受ける…

恐らく、この記事を読んで下さっている多くの人がこのような光景が頭に浮かんだのではないでしょうか。

しかし、私は「学ぶ」ことはもっと広い意味で捉えられるべきだと考えます。

 

私はこの春から中学3年生、いわゆる「受験生」になりました。

私も含め、同級生たちの多くは、夜遅くまで机に向かって勉強しています。

教室の中では偏差値や志望校の話が飛び交い、昨年とは全く違う雰囲気が感じられるようになりました。

 

ですが、友達に「勉強は好き?」と聞くと、ほぼ100%の人が「そんなわけないでしょ。」と答えます。

「大人になってから何の役にも立たない公式や単語を覚えたって意味ないじゃん。」
そう感じている人が多いことでしょう。

もちろん、私もその中の1人でした。

 

これは「学ぶ=机に向かって勉強すること」という考えが
広く浸透していることが原因で起こるのではないかと思います。

私自身、このようにすることが辛くなって、勉強をやめようと思ったことが多々ありました。

 

 

そんな苦しい時に、私の「学び」の概念を変えてくれたのがこの言葉です。

「学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。」

これは江戸時代の教育者、吉田松陰の言葉です。

 

 

今までの私は、難しい問題を解けるようになって難関校に合格することだけが勉強だと考えていましたが、
この言葉に出会ってから、日々の生活で感じること全てが「人生における学び」なのだと実感できました。

 

もし、今勉強をすることが辛い人や勉強を投げ出したい人がいたら、
「学び」の概念を180°転換させてみてください。

きっとより良い自分をつくることができると思います。


 

それでは次回もお楽しみに〜!