【報告】11/21 毎日メディアカフェ教育シンポジウム「学校って何?」

みなさん、はじめまして!
今月よりインターンを勤めている、吉田凜です!

高校生の頃、子どもメンバーとして
認定NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパンにお世話になり、
フィリピンスタディツアーや「世界一大きな授業」(現:SDG4教育キャンペーン)に参加していました。

「子どもにも権利がある、子どもだからこそ起こせるムーブメントがある!」
子どもメンバーとして教わったことを、今度は今の子どもメンバーのみなさんに
伝える一員になれればと思っています。

これからどうぞよろしくお願いします!


11/21(土)、毎日新聞社主催の毎日メディアカフェ教育シンポジウム「学校って何?」に、当団体の広瀬と、事前に全国から募集、選抜選抜されたFTCJ子どもメンバー(小学生~高校生)代表5人が登壇しました。

 

コロナ禍前後での変化や気づきを踏まえ、子どもにとって・社会にとって学校という場がどのような場なのか考え、子どもの居場所となる学校のこれからの理想像についての意見交換がオンラインイベントにて行われましたので、ご報告します。

 

 


▼イベント情報

毎日メディアカフェ 教育シンポジウム「学校って何?」

・日時 11/21(日)13:00-15:00

・主催 毎日新聞社

・協力 日本教職員組合

    認定NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパン(以下、FTCJ)

    イーソリューション(株)

    (株)パズルステージ

▼こちらの「教育シンポジウム」の様子が、Youtubeで3月末まで限定公開されることになりましたので、よろしければ、下記アドレスにアクセスしてご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=TRLT84BrIto&feature=youtu.be

第一部 子どもたちのリレートーク(約50分)

<参加者:全国から選抜された小学生~高校生の子どもたち代表5人>

 小学生代表:りん

 中学生代表:つむぎ、ゆうすけ

 高校生代表:うたの、たいき

ファシリテーター:広瀬太智(FTCJ、元小学校教員)

 

第一部では、FTCJの広瀬がファシリテーターとなり、全国から選抜された小学生~高校生の子どもたち代表5人が、コロナ禍で変わった学校に対する考えや現在の学校教育に対する意見について話しました。みなさん自身の経験を交えて熱く語ってくれました。

 

▼子どもたちのリレートーク① 「休校中に一番困ったことは?」

新型コロナウイルス流行によって多くの学校が休校になりました。教職員にとっても初めての休校期間、学校の対応も様々でしたが、子どもたちにとって休校中に一番困ったことは何だったのかについて聞きました。

<意見>

りん:休校期間中に学習が遅れてしまったこと

つむぎ:友達とコミュニケーションを取る機会が減ったしまったこと 

ゆうすけ:youtube配信の授業では先生による一方的な授業になり、質問ができず、わからないことがそのままになってしまったこと

うたの:小学5年から中学3年までの不登校を経験し、何年もどれだけ訴えても叶わなかったオンライン授業がたった数か月で実現してしまい、憤りを感じて心が不安定になってしまったこと

たいき:行事の中止や延期などのさまざまな日程変更により、予定や計画がくずれてしまったこと

 

コロナ禍での授業のオンライン化においては、「学校に居場所を感じられない生徒や、様々な事情で登校できない生徒の学ぶ権利の確保など、色々なメリットがあった」と言われています。一方でデメリットもあったことが子どもの意見からわかりました。

 

 

▼子どもたちのトークリレー② 「コロナ禍でわかった、学校の意義やあり方とは?」

今回の長い休校期間は、今まで当たり前にあった学校の存在意義について考え直すきっかけになりました。休校期間を経て学校に対してどのような思いを持ったのかを、りん・うたの・つむぎに、また現在の学校の授業の在り方や先生と生徒の関係についての意見をたいき、ゆうすけから詳しく聞きました。

<意見>

りん

コロナ禍以前から学校が大好きだった。休校を通して、学校でのディスカッションの時間に友達や先生の意見を聞いて視野を広げることの大切さや、自分ががんばっていることに気づき認めてくれる先生や協力し信頼しあえる友達の存在を再認識した。休校明けには学校がもっと好きになった。

うたの

不登校期、完璧主義で、学校に行くという当たり前のことができない自分は死ななくてはいけないと悩み続けていた。出席がなければテストをどれだけがんばっても評定が付かず、「足を引っ張りあうだろうから」と不登校の生徒同士の交流も許さない学校や、不登校の生徒を受け入れている学校の情報を提供してくれない自治体、内申関係なく挑戦できる受験制度があまりにも少ないことなど、不登校というだけで子ども自身に見ることなく切り捨ててしまう社会に対し憤り、悲しい思いをしてきた。

 一方で、不登校の期間には、学校と距離を置いた立場から、社会に取り残されてしまうさまざまな人々の問題に目を向けることができ、良い経験になった。不登校という一側面だけではなく「その子」を見てほしい

 

つむぎ

福祉関係で働く母が感染しないよう早い段階から自主休校していた。休校中の学習では、テストの代わりに自分の学びたいことを探究して論文を書き、学びが大きく広がった。逆に学校での「みんな一緒に」という一律の教育に疑問を持つきっかけにもなった。コミュニケーションの場として学校の必要性を感じる一方で、一人ひとり違う生き方に合わせた教育の意義にも気づいた。

たいき

受験だけをゴールとしてただ走らされているだけのような学校教育に疑問を持っている。学校は知識を与えるだけではなく、社会で生きるうえで学習内容がどのように役に立つのかということに焦点を当て、ただ走るのではなくどこに向かって走るのかを伝える場であるべきだ。

ゆうすけ

子どもの権利を基に考え、教師には生徒を楽しませる授業をしたり、子どもの目線に立って考えに耳を傾けたりする義務がある。これは決して子どものわがままではなく、子どもと大人が互いの権利と義務を理解し、それを守る姿勢が必要だ。

 

▼子どもたちのトークリレー③ 「理想の学校とは?」

コロナ禍での気づきを踏まえ、自分にとっての「理想の学校」についてそれぞれ語ってもらいました。

<意見>

りん

みんなが自分の意見を聞いて認めてくれ、頑張っていることを気づいてくれる学校

つむぎ

自分で学びたいことを見つけ学びたい場所で学びたい人から学べるような、自分で創れる学校

ゆうすけ

先生が威圧的でなく、生徒と友達のような信頼関係を結び、お互いに幸せな空間を作れる学校

うたの

子どもが学校生活の中で当たり前になっているものに対し疑問を抱き、主体となってひとつひとつ解決していけるような、「なぜ」を大切にする学校

たいき

子ども自身が「知りたい」「学ぶ必要がある」と思ったものを自主的に探究できるような学校

 

また、時間の関係で詳しく話してもらうことはできませんでしたが、

最後に「学校に本当に必要とされるもの/いらないもの」を教えてくれました。

 

 子どもメンバーの皆さん、有意義なお話をありがとうございました!

 


第二部 パネルディスカッション(約70分)

<登壇者(敬称略)>

秋山宏次郎(一般社団法人こども食堂支援機構)

塩崎考江(東大阪市教員)

広瀬太智(FTCJ、元小学校教諭)

森大輝(長崎県私立高等学校2年)

ファシリテーター:斗ヶ沢秀俊(毎日新聞社)

 

第一部で出された、様々な視点・立場の子ども達からの率直な意見を踏まえ、
第二部では現場の立場から見た、理想の学校像について意見が交わされました。

ディスカッションは、毎日新聞社の斗ケ沢さんのファシリテートによって進められました。

その中で出されたいくつかの質問とそれに対する登壇者の意見を紹介します。

 (以下、敬称略)

▼質問①現在の学校はどのようになっているか。

塩崎:ここ最近やっと色々な行事や課外活動などを行えるようになってきた。六月の授業再開以来、感染対策に徹底して努めてきたが、生徒たちは大人の事情に振り回されている。事前学習を進めてきた修学旅行が夏休み間際に突然中止になったが、生徒にどのように伝えどうフォローするかには頭を悩ませた。生徒の不安に対応しつつ、感染対策のため増えた業務をこなすため、教員の負担は増大している

 

▼質問②子どもにとって学校以外の居場所である子ども食堂も多くが閉鎖されたが、

どのような状況だったか。

秋山学校も子ども食堂もなくなり、子どもは両方の居場所を失うことになった。運営者の考え方によっては、学校に行けない今だからこそ子ども食堂が必要だとして開催頻度を増やす食堂もあったが、近隣住民からのクレームにあうケースも多かった。子どもをそのような声から守るためにも、閉鎖を余儀なくされる状況だった。経済的に十分に食事を摂れない家庭には食事の提供のみ行う場合もあったが、やはり「子どもの居場所」という子ども食堂の意義は半減してしまう。

 

▼質問③FTCJは学校に出前授業を行っているが、コロナ禍ではどのような状況か。

 

広瀬:FTCJが行っている子どもの権利についての出前授業は、今年度の1学期中はほぼ全件キャンセルになってしまった。二学期に入ってから授業の依頼が増えており、オンライン設備も整えて、さまざまな形態で授業を行えるよう用意した。

 

▼質問④高校生同士の交流はどのようにされていたか。

 たいき:同級生との交流の場は減ったものの、生徒自身は意外とうまく対応している。

中高一貫の内部生で、高校からの外部進学生とは休校中交流がないままだったが、

生徒の中には学校設備を利用して個人間でメールをやりとりし交流している者もいた。

 

 

▼質問⑤コロナ禍でわかった、教員に求められる姿勢と質とは。

塩崎:教員はもともとまじめで頑張ってしまう。そぎ落とせるところをそぎ落とせない。

この働き方の問題を解決しなければ、第一部のトークリレーで挙げられた「生徒の声を聞く」ための

余裕も生まれない。コロナ禍だからこそこの問題に着手するチャンスだと思う。

 

広瀬:コロナ禍でそぎ落とせる部分に気づくことができた。

これまでは教員の「愛」を発揮できない状況だった。今こそ学校という場を見直すことが大切。

 

▼質問⑥改めて、子どもにとって学校とはどのような場所だと考えるか。

 

たいき:子ども一人ひとりが、部活・学業などそれぞれのものに打ち込み、

自分の将来の生き方にあったパートナーを見つける場。

教員はそのための情報や環境を与えてくれる存在。

 

秋山:大部分の子どもにとって、学校は大切な居場所であり、コロナ禍での休校等は

ネガティブな喪失だった。一方で、学校とはマスに合わせなくてはならない場であり、

居場所を感じられない子どももいるのは確かで、その子たちにとっては

オンライン授業の導入は活き活きと学ぶ権利が守られる機会になった。

今後はオンライン授業を活用し、浮いた時間で教員が生徒に個別的な支援を行うなどの

可能性も拓(ひら)けてきた。総じてネガティブな変化だけではなかったと感じる。

 

塩崎子ども自身が学校の大切さを認識する機会になったと思う。

教員にとっても、家の中に居場所はあるのか、ちゃんと食べられているのかなど、

心配が多くあった。友達に会え、居場所があり、しっかりごはんを

食べられるという学校の意義を子どもも感じていたのではないか。

 

広瀬:公教育のシステムはすぐには変わらず、

個々の教員、学校の工夫に留まってしまうものの、オンライン授業によって

学ぶ権利を守られることになった子どももいた。

「オンラインか、対面か」という二者択一ではなく、

ハイブリッド化していくことが求められると思う。

 

▼質問⑦理想の学校とはどのような学校だと考えるか。

秋山:第一部でも挙げられた「この学習が何の役に立つのか」を教えるべきという

考え方に対しては、子どもの人生の中でいつ何の役に立つかを本人や周りが

予測することはできず、本人の人生は本人が形作っていく必要があるため、

「役に立つかどうかわからない学び」も重要であることを付け加えたい。

しかし、子どもはある知識が実生活と深い結びつきがあるとわかると目の色が変わる

学びの要・不要は判断できない中でも、実社会とのつながりが見えるような

教え方をしていきたい。

 

たいき:学校の先生という職業は、社会のさまざまな職業と学習内容とをつなぐ発想

そもそも持ちづらいのかもしれない。具体的に、リアルに、どう活かされているのか、

どういう可能性があるのかを教えてほしい。

 

塩崎:「何の役に立つのか」について、義務教育の場合は、

基礎的な教養として自分の可能性を広げるために身につけるべきだと伝えている。

 

広瀬:自由な教育システムとして知られるイエナ・プランなどですら学習要領は決まっている。引き出しを持たないうちから取捨選択させるのではなく、土台となる教養は備えるべき。その中で、自分で考え判断・実行・フィードバックする自己選択の場を多く設けることが大事だと思う。また、「何の役に立つのか」という視点だけでなく、なぜ、どういう文脈でその知識に至ったのかというプロセスを大切にするべきだと感じる。

 

(補足:イエナプラン教育)

1924年にイエナ大学(現在のドイツ)で提唱された教育手法。日本には2000年代に入ってきた。

2~3学年分の異なる年齢の子ども達でクラス(ファミリー・グループ)を編成したり、

インクルーシブ教育や科目横断型学習を展開したりするなど、座学の授業以上に、個々の心や生きる力の育成などに重きを置いていることが特徴。詳細は日本イエナプラン教育学会HPを参照。

 

たいき:「何の役に立つのか」や教養だけでなく、先生の「人間性」も大切だと思う。

生徒が分かる伝え方で伝えることや、誠実な大人としての態度など、

人間としての手本となってほしい。

 

秋山:コロナ禍においては、そもそも教育は何のために必要なのかということが問い直された。今回、オンラインが導入されたということは「教育のツールが増えた」に過ぎず、取り入れていけばいい。

塩崎:中国のことわざの「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、

釣り方を教えれば一生食べていける(授人以魚 不如授人以漁)」ということが教育の本質だと思う。

学び続けられるような学びを与えることを大切にしていきたい。

 

▼イベントを終えて

教師が子どもの権利を誠実に守り、基礎的教養を身につけさせ、実生活や将来とのつながり、

論理的思考といった生涯の学びの土台を作る。これからの教育のあるべき姿が

見えてきた気がします。

 

今後も子どもの権利や教育に関わる一環として、このようなイベントに積極的に参加していきたいと

思います。本日は貴重な機会をいただきありがとうございました!