モンゴル訪問記

高校生の時からFTCJメンバーとして活動し、現在はアメリカの大学に通う
瀬川愛葵さんが、大学の友人3人とFTCJが運営支援するゲル図書館を
2011年12月に訪問しました。

そこで、多くのことを学んだという瀬川愛葵さんたち。
モンゴルを訪問した大学生のみなさん一人一人が
心に訴えかける言葉でモンゴルで感じたことや気づきなど
報告を書いてくれましたのでご紹介します。

瀬川愛葵さんの訪問記はこちら↓↓↓

モンゴルでの活動報告が届きました!

◆モンゴル旅行記

 

 

 

 

 

 

 

 

モンゴル現地スタッフと、アメリカの大学に通う4人のみんなで、極寒のなか記念撮影!

初めまして、現在大学生で、大阪出身の平純子です!北京の語学留学を
終えたあと、12月13日から16日までモンゴルに行ってきました!
きっかけは、フリー・ザ・チルドレン・ジャパンを通しての募金活動でモンゴルに
ゲル図書館を建てた友人の瀬川さんがその図書館を訪問するということだったので、
一緒に訪問させていただきました。

自分はモンゴルについての知識はまったくなく、馬が草原を走っているか、
相撲取りのイメージしか持っていませんでした。マンホールチルドレンや、
学校に通えない子どもたち、仕事のないシングルマザー、政治の腐敗、
モンゴルのこういった状況を知ったのは今回が初めてでした。

実際にモンゴルに着いてみると、まず感じたのは寒い!
寒いと分かっていても実際に感じてみるのはやはり違って、
本当に道端で寝ると凍死すると思いました。そんな中、
FTCJゲル図書館に来てくれる子どもたちや、働いている子どもたちが
たくさんいました。寒い中、頬を真っ赤にしながら、
皆毎日を生きるために必死でした。

FTCJのゲル図書館では一日に100人以上の子どもが本を
読んでいました。本が身近にない環境で、このゲル図書館は
子どもの想像力の育成、また交流の場を提供していて、
その存在はとても大きいものです。

ですが、こういったゲル図書館に来ることができない子どもたちもいます。
働いている子どもたちや、マンホールチルドレンです。たいした稼ぎに
なるわけでもなく、でも生きるために働いていました。そして生きるために
人の物を盗んでいました。図書館に来ても、本を盗んでいくそうです。
学ぶことよりも、生きることに必死という印象を受けました。

図書館に来ていた子どもたち、働いている子どもたち、皆一人ひとり、
本当にかわいかったです。しかし、この子どもたちにはどんな将来が
まっているんだろう。そして自分はこの子どもたちのために何が
できるのだろう、と写真をとりながら、自分の無力さを感じていました。

モンゴルは「寒さ」のせいで、ほかの発展途上国とはまた違った問題に
直面しています。私は今まで「貧困」と聞くと南アメリカやアフリカ、
西アジアなど思い浮かべて、寒さの厳しいモンゴルでの人々のつらさなど
考えたことがありませんでした。

私は、過去に2度ホンジュラスという、南アメリカにある国にNGOの
ボランティアとして行った事があります。その国は熱帯系の気候で、
夏はとても暑いところです。そこでは人々の暮らしはとても質素、
家はレンガ、普段は農業をし、子供たちも学校に行った後は畑の手伝い。
子どもたちがマンゴー狩りをしているのも見ました。
にわとりも至る所うろうろしてます。ここでは不衛生な状況下の感染病や、
蚊の被害、水不足、教育など、問題が山済みでした。

モンゴルではまた違った問題が山済みです。気候の影響で農作業が
ほとんどできず、果物もとれず、自給自足の生活すらできません。
冬は水道管も凍り、道を歩くのも危険な状態です。炉端で寝てしまうと凍死します。
産業が発達していないので、就職の機会がとても少なく、多くの人が失業者です。

ホンジュラスとモンゴルでは、人々の必要としているものは違いますし、
文化の違いもあり、支援の仕方も異なります。「実際に現場を知り、
現地の人と交わらないと本当に有効な支援の仕方は見えてこない。」
モンゴルで出会ったFull of dreams/Mongolian Kids の高岡さんが
言われていました。私は、一つの国の貧困層を見ただけで、ほかの国の
貧困問題もわかったつもりになっていて、今回のモンゴル訪問で
「国が違えば支援も違う。解決策も違う」と改めて実感しました。

登山家の野口健さんは「見ることは知ること、そして知ることは背負うこと」
といわれています。今回モンゴルにいき、実際に暮らす人々を見て、
現状を知り、そして今現在、自分の見た現実を背負っている。背負って
いるからには、もうモンゴルに無関心ではいけない。発展途上国の現状に
知らんふりではいけない。自分は、自分が見た厳しい現実に責任があるんだ!
そう自分に言い聞かせて、一人では非力かもしれませんが、仲間と一緒に
自分にできることから行動を開始していきます。

今回モンゴル訪問という機会をいただき、また報告書を書く機会をいただき、
FTCJの皆様、友人A.S、モンゴルでお世話になった方々、その他大勢の方、
そしてこの報告書を読んでくださったあなたに、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。

平 純子

***

モンゴル訪問の感想:

今回ウランバートルに四日間滞在し、多くのモンゴルの子どもたちに出会いました。
母子センターに通う子どもたち、ゲルト図書館に来て本を読む子どもたち、市場で
家族のために必死に稼ぐ子どもたち、極寒の冬マンホールの下で眠る子どもたち、
教会にパンとスープをもらいに来る子どもたち、、、物質的に恵まれ、本に囲まれて
育った自分の子ども時代からは想像も出来ないほどの重圧の下暮らしていました。

ほんとうは読書が大好きだったり、世界に対して好奇心旺盛な子どもたちも、
多くが自分の夢・願望を抑えて目の前の過酷な現状と向き合わなければならない。
生まれ持った可能性を伸ばすよりも、「生きるため」に時間を費やすことを
余儀なくされている。

また、そうして生きることが、当然・普通と思わされている。
子どもが社会悪・生活苦の一番の犠牲者だと実感しました。

平野 勇

***

モンゴル4日間の旅:

事前にアジアの会の高岡さんやバイナさん、FTCJの中島さんなどに連絡を取り、
準備をしてくれた、FTCクラブの瀬川愛葵さんや平野勇くん、旅の一部始終を自前
のカメラでキレイな写真を撮って記録してくれた平純子さんと共に、この旅に同行
させて頂いたことに心から感謝します。3人に付いて行っただけで、特に何か役に
立てたわけでもありませんが、3人とはまた違った目線でモンゴルの旅をご報告
させていただきます。

12月12日:北京国際空港からチンギス・ハーン国際空港へ、
そしてアジアの会・母子センターに到着。

朝早くに集合して空港へ行くと、北京からモンゴルへの便は数日前から悪天候
のために飛んでいないというショッキングなニュースから1日目は始まりました。
すぐざま瀬川愛葵さんが現地の高岡さんに連絡を取ると、モンゴルの天気は
すでに良くなっているらしく、きっと今日中に飛行機も飛ぶだろう、
ということでした。便が出ることを願いつつ、ひとまず昼食を取り、モンゴルの
子どもたちと一緒に遊べることを期待して折り紙を練習しました。モンゴルの
子どもたちと交流するのだから、馬を折ろうと思い、折り紙などほとんど折った
こともない僕でしたが、手こずりながらも馬の折り方を習得。その後、空港で
モンゴルに行く便が飛ぶという情報があり、カウンターへ行くと、そこで日本語の
達者なモンゴルの女性と出会いました。その方に親切にしてもらい、無事に
チェックインを済ませると、便は深夜12時を回ってから飛ぶということでした。
そのため、今日1日を空港で過ごすことになり、4人で交代に寝たり、
食事をしたり、読書や折り紙をして待ちました。

飛行機に乗って、モンゴルに着いたのが13日の午前4時頃、前もって愛葵さん
が連絡をしてくれたおかげで、母子センターからバイナさんが車でお迎えに
きてくれていました。初めて踏むモンゴルの地面は雪というより氷に固められ、
氷点下25度以下の世界は身体の芯まで凍える寒さでした。僕にとっては
初めての経験ということもあり、モンゴルの極寒の天候は
今でも身体で覚えているようです。

バイナさんの運転で母子センターまで向っている途中、車の左側に工場のような
地帯が広がっていました。モクモクと煙が出ていたり、ビル群の光が見えたり
していましたが、草原をイメージして来た僕にとっては、初めて見た「貧しい国」
との最初の出会いとなり、廃墟となった建物や使われていない工場などを車
の中から見たときは、高岡さんがブログで語っていたことは本当だったんだ、
と実感できました。

母子センターに着いたのが午前5時過ぎで、それでも起きて僕達を歓迎して
くれた高岡さん、迎えにきてくれたバイナさんに感謝し、それぞれ自己紹介を
させてもらいました。高岡さんの最初の印象は、大きくてタフなおじさん、
といった感じで、そのときは高岡さんがまさか68歳のおじいさんだとは
思えませんでした。その日はすぐに眠ることになり、女性2人は高岡さんの
ベッドを借り、男性2人は作業机の上と椅子の上に寝袋で寝ました。

12月13日:モンゴル国立科学技術大学日本語学科の学生と交流、
フェアトレード店を見学

朝起床すると、朝食にパンとヨーグルトを頂きました。ヨーグルトをパンに
塗って頂きながら、母子センターで生活するために必要な知識を高岡さん
から教えていただきました。トイレの行きかた、外出は危険で、盗みや強盗、
殺人も起きること、母子センターの鍵のかけ方、そして4日間のスケジュール
の確認など。その後、バイナさんとウルジエさんに同行してもらい、バイナさん
の母校であるモンゴル国立科学技術大学の日本語学科の学生と交流させて
もらいました。1年ほどしか勉強していないのに、モンゴルの学生は日本語が
本当に上手で、僕も知らないような日本の伝統文化や歴史などについて勉強
しているようでした。なぜ日本語を勉強しようと思ったのか聞くと、
「日本に行ってみたい」「モンゴルの人に日本語を教える教師になりたい」
「日本で仕事をしたい」という答えが返ってきました。教室を出て、校内を見学
させてもらい、図書館や鉱物の展示などを見せてもらいました。図書館には
たくさんの本があり、学生もたくさんいました。率直に言って、日本語学科の
学生に限らず、日本の大学生と比べてモンゴルの学生は、真面目に勉強
しているな、という印象を受けました。

大学を出て、近くのレストランで昼食を食べました。僕は日本語学科の子に
教えてもらったボーズという食べ物を買いました。ボーズは肉団子を餃子の皮で
覆って煮たもので、中国の餃子のような食べ物でしたが、肉の臭いや味つけなど、
全く僕の口に合いませんでしたが、経験だと思い、すべて食べました。きっと
ほとんどの日本人にとって、モンゴルの一般的なレストランでの食事は好きに
なれないだろうな、と思いました。昼食の後、フェアトレードの店を訪れ、店内に
入るとたくさんモンゴルのお母さん達が作った商品が並んでいました。靴、
スカーフ、フェルトでできた人形など、日本円に直すと信じられないほど安い
値段になってしまいますが、手の込んだしっかりした作りの物でした。

降雨量も少なく、冬は極寒のモンゴルでは食べ物を栽培するのは難しく、
仕事のないお母さん達にとって、手でこうした織り物を作るということは、
とても理に適った仕事なのだろうと思いました。

その後、観光地として有名なガンダン寺に寄りました。寒さが一段と
増していたようでした。寺の中を少しだけ見学。観光客はほとんど来てなく、
代わりにハトの群れが寺を囲んでいました。

ガンダン寺から母子センターへ帰るとすぐに水を汲みに近くの配水所へ
男2人で行きました。小さい男の子が自分の身体と同じくらい大きな樽を
引きずって水を買いにきていました。地面は凍ってすべるし、水の入った
樽は一層重いのですが、これを常に続けているモンゴルの子ども達は
たくましい、と思いました。その後、アメリカ創価大学の
Free The Children Clubの学生が文通をしてきたモンゴルの女の子が
お母さんと帰りを待っていくれたらしく、瀬川愛葵さんが用意したビデオで
文通を続けてきたメンバーやClubの活動を紹介し、少しの間交流しました。
実は、僕はよく状況を理解していなかったのですが、Clubのメンバーが文通
を続けてきて、瀬川愛葵さんは本当に会うことができ、モンゴルの女の子は
嬉しそうでした。

12月14日:ゲル図書館を訪問、スフバートル広場と旧日本軍捕虜慰霊塔、
オドちゃん宅を訪問する

朝早く起きるも準備に手間取り、高岡さんに「小学生みたい」と指摘を受けました。
朝は10分で準備をして、すぐに活動できるようにならないといけない。特に氷点下
の世界で、身体が完全に目ざめていない上、寒さで動きも鈍く、情けない気持ち
になりました。この日は近くにあるゲル図書館を2つ訪問しました。そのうちの
1つは瀬川愛葵さんが高校2年生の時にFTCJの活動で学校の友達と募金を
して建てたものだと聞きました。歩いていける距離でしたが、途中で凍えて
死んだ犬の死体や、共食いされてしまった子犬の無残な姿を見つけ、
モンゴルの冬の厳しさを垣間見た気持ちでした。ゲル図書館には毎日すごい
数の子どもが来ているようで、来た子どもたちの記録用のノートを見させてもらい、
実際にどれくらい多くの利用者がいるのかがわかりました。

FTCJのゲル図書館には毎日100人近くの子ども達が来て本を読んだり、
絵を描いたりするそうです。その日来てくれた15歳の女の子4人と交流し、
モンゴル語の歌を歌ってくれました。小さなゲル図書館に、ここまで多くの
子どもたちが来て勉強しているのですから、図書館を一つ作るというだけで、
どれだけの子どもたちを支援することができ、それがどれほど尊い行為か、
子ども達の笑顔と真剣に本を読んでいる姿を見て、改めて募金活動をした
瀬川さんを尊敬できたし、図書館を維持している、高岡さんをはじめとする
アジアの会の皆さんの努力と苦労の偉大さを感じました。日本語をモンゴル語に
翻訳する作業も、子ども達のためにできることをやろうという気概がなくては
できないことだと思いましたし、危険の多い地域で図書館を維持することも、
僕には想像もできないほどたくさんの苦労があるに違いないと思いました。

その後、母子センターで青年海外協力隊の方々と会って懇談会をし、高岡さん
の世界一周の話などを聞きました。僕にとっては小学校のころからの夢である
世界一周の話が、現実の体験談として聞けたことは、希望が膨らむ体験でしたし、
実際に青年海外協力隊としてモンゴルで教職に就いている人たちの体験談も、
貴重な経験になりました。そして、皆で昼食を取った後、バスでモンゴルの
議事堂があるスフバートル広場へ行き、チンギす・ハーンの像や広場中央にある
スフバートル像を背景に何枚か写真をとりました。広場の脇には戦争中に日本人
捕虜が建てたオペラ劇場がありました。これほど寒い中でも労働をさせられた
捕虜の人たちは、どれほど苦しんだことか。過酷な歴史の遺産を目の前にして、
権力の恐ろしさとか、戦争の悲惨さを感じました。広場の脇でしばらく待ち、
足の先まで冷え切った頃にバスが来て、乗りました。このとき、僕は誰かに
押されてバスに乗り込み、気づくと男の人が肩にかけていたカバンを開けて
デジタルカメラのケースを盗んでいました。それを取った男はすぐにバスから
降りて走ってどこかへ消えました。不注意といえばそれまでですが、どうにも
抵抗のしようがない状況だった上、盗まれたのが特別大切なものでは
なかっただけに、僕はあまりショックではありませんでしたが、モンゴルでは
「当たり前」のことを経験して、もっと気をつけないといけない、と思いました。

バスで戦争時に亡くなった日本軍兵士の慰霊塔を訪れしばらく見学しました。
慰霊塔はひっそりと丘の上にあり、僕達が見学したときは日も暮れ始めて、
身を切るような寒さでした。歴史にあまり明るくない僕にとって、戦時にどうして
日本がモンゴルを攻めたのか、どうしてここに名前が刻まれている人たちは
モンゴルの地で人生を終えなければならなかったのか、全くわかりませんでした。
ただ、この人たちを紙切れで集めてこんな場所に飛ばし、戦争に巻き込んだ
人間は絶対に許せないと思いましたし、そんなことが今後おきないことを願いました。

その後、タクシーに乗り換えて高岡さんが募金活動をして救った「オドちゃん」
の家を訪問させてもらいました。オドちゃんの背中の火傷は痛々しいものでしたが、
それでも元気に僕たちを出迎えてくれたオドちゃんを見て、できれば早く回復して
無事に成長してほしいと思いました。オドちゃんのお兄ちゃんは発達障害を
抱えているようで、手足がとても細く、もう歩けません。もう一人の女の子は
特に病気を持っている様子はなく、一番元気そうでした。3人の子供を抱え、
しかも2人はこれだけ大変な状況なのに、オドちゃんのお母さんは訪問した
僕達を快く受け入れてくれ、笑顔も見せてくれました。僕は、モンゴルの
お母さん達は本当に強いな、と思いました。

12月15日:ナライハ村の調査に同行、ザハ(市場)で働く子どもたちに
インタビュー、マンホールチルドレンに会いに行く

高岡さんとウルジエさんに付いて、バスに乗ってナライハ村へ向かいました。
ナライハ村では高岡さんが村の役所の人や、児童センターの人、そして仕事
がなくて困っているシングルマザーの人たちと話し合いをして、仕事が
できるように支援する活動を見学させてもらいました。交渉の仕方や、
話の進め方など、高岡さんの経験を物語るようで、とても勉強になりました。
ナライハ村の女性の中には、仕事をする気がなく、安定した生活を送ることを
諦めてしまっている女性もいました。しかし、多くのお母さん達が、若くして
子どもを抱え、生活の柱になっている現状を知り、高岡さんの活動のすごさも
知りました。

その後、母子センターにいったん戻り、昼食を食べた後、マイクロバスでザハ
へ向かいました。ザハに着いた頃はもう寒さが増す時間帯になっていましたが、
それでも市場は活気にあふれていて、たくさん子ども達が働いていました。
何人もの子ども達が7歳や8歳など、本当に幼い子どもまで一人で働いていました。
絵本を売っていた女の子と飲み物を売っていた男の子に出会いました。
僕は絵本の内容が気になったので、本を見せてもらいました。絵や装飾はなく、
シンプルなつくりの絵本でした。僕はインタビューに応えてくれたお礼にと思い、
本を1冊買いました。喜んでくれて、笑顔が見れたときは本当に心から嬉しく
思いました。

ザハを出て、母子センターに帰ると、今日中にマンホールチルドレンにも
会っておこう、という話になり、警察の方の協力を得て、会いに行くことになりました。
警察署でしばらく待ち、日が完全に暮れた頃、警察が戻ってきて、
一緒に一組のマンホールチルドレンを見学にいくことになりました。
予定では二組でしたが、もう一組の方は行方がわからなくなってしまった
ということでした。近くのマンホールに着くと、マンホールの上からライトを照らし、
中をのぞくことができました。中にはゴミが散乱し、掛け毛布にくるまった
男の人がこちらを見ていました。彼の横には上半身が裸のまま寝ている
小さい子どももいました。こちらに向かって怒鳴っていたので、きっと
迷惑だと思われたのだと思います。インタビューなどができれば交流に
なったのかもしれまぜんが、上から見下ろされた人の気分はどんなに害
されたことか、心から申し訳なく感じました。もう一組も探しに良くかと提案
されましたが、体力的にも相当疲れていたことと、一組目の人たちに対する
罪悪感も多少あり、僕は断りました。母子センターへ帰り、高岡さんとの
勉強が始まり、高岡さんが自身の体験に基づいてのアドバイスを、夜晩くまで、
語ってくれました。

12月16日:お土産を買い、北京へ帰国

朝、近くの教会で朝食をごちそうになり、施設に住むおばさんや身寄りの
ない子ども達と交流しました。家がなく、仕事もないのに、明るく強く生きて
いるおばさんの目はとてもキラキラしていて、泣いているのかと思うほど
輝いていて、とても印象的でした。その後、バスで中心街に行き、お土産を
買いに行きました。フェアトレード店でも買い物をしました。荷物を抱えて
バスに乗り、母子センターに帰ってくると、昨日ナライハ村で会った女性が
何人か来ていて、高岡さんやベテランのお母さん達に仕事についての説明を
受けていました。僕達はFTCJ事務所へのシューズ30足と自分達の荷物を
整理し、その後で母子センターにある完成した商品も何足か買いました。
バイナさんの運転で、荷物をいっぱい抱えて空港へ戻り、北京へ戻りました。
車の中で高岡さん、バイナさん、ウルジエさんへの手紙を4人で書き、
バイナさんに渡しました。4日間、初めての発展途上国の現実を知る旅を経て、
たくさんのことを頭だけではなく身体で教わりました。将来、子ども達の笑顔の
ために働きたいという気持ちは更に強くなり、これからももっともっと経験をつんで、
世界中の子ども達の状況を知って、もっと力をつけたいと思いました。

松倉 大樹