希望が産まれる場所
保健サービスなど情報を得ることが困難な環境にいるイン
ドの農村部の妊婦たち。ムルキ・バイは、そんな妊婦たちに
情報と支希望を届けています。(清田)
ムルキ・バイは、妊婦を探して何日も歩き続けます。
インド、ラジャスタン州にあるカルタナ村で、アンガンワディ
支局のアシャと呼ばれる公認社会医療活動家として働いて
いるムルキ。アンガンワディとはインドの母子保健センター
で、検診、予防接種、栄養補助キット、6歳未満の子どもた
ちへの就学前教育等を無料で提供しています。そう聞くと、
アンガンワディは欧米諸国でさえ成し遂げられない福祉サ
ービスのメッカであるように思うかもしれません。しかし、日
々「まだ見ぬ患者」と向き合うムルキにとっては、毎日が現
実との闘いです。
焼けつくような夏の日も、猛烈な雨がふる春も、ムルキは丘
を越え、麦畑を越えて歩き続けます。「この仕事で一番辛い
のは、歩くこと」とムルキは言います。新米ママに子育ての
[いろは」を教えることではなく、命を育む時に訪れる不安を解消することでもなく、苛酷な土地に足を一歩前に出すとい
う行為が一番辛いのです。訪問するのはカルタナ村にある1
4の集落。この数キロにわたって点在する集落をまわり、1日
に少なくとも10軒のドアをたたくのです。草の根運動的にドア
からドアを巡る啓発活動ですが、口伝えが唯一のコミュニケ
ーション手段であるこの地域の集落では必須であり、部外者
を寄せ付けない結束の硬い村びとに接触する有効な手段となります。
カルタナ村のアンガンワディがオープンしたのは20年以上
前。訪れる人はほとんどいませんでした。1975年、政府は、
都市のスラム街や農村部においてセンター設立を義務図け
る計画を発表しました。州政府は、1000人に一つという基準
を満たすつもりですが、インフラ整備や認知度が追い付いて
いません。アンガンワディが行うプログラムの対象である若
い女性や子育てが初めての母親等が姿を現すことはありま
せんでした。というのも、これらの女性たちのほとんどが、チ
ラシや児童福祉に関する新聞記事を読むことができないか
らです。
だから、ムルキは歩きます。
ムルキがカムラ・ガメティに出会ったのは、6ヶ月ほど前のこ
とでした。16歳で結婚したカムラは20代前半で、二人目の子
供を妊娠中でした。3歳になる長男ナレシが足元で遊ぶなか、
ムルキは出産時に病院に来るように説得しました。また、アン
ガンワディの無料予防接種や、予防薬、予測される合併症、ま
た緊急事態への早急な対応などについて辛抱強く説明しました。
カムラは、ムルキが何を言っているのか全くわからない様子でした。
それもそのはず、この時まで、カムラはちゃんとした医療を
受けたことがなかったのです。カムラも、そして息子のナレ
シも、出産前検診やヘモグロビン血液検査、骨盤内ガン検
診等受けていませんでした。聴診器をあてて、2つの鼓動を
チェックしたことさえありません。カムラとお腹の赤ちゃんだけ
が取り残されていたのです。
2015年から調査されている世界銀行の最新データによると、
インドの妊婦死亡率は10万人に174人の割合です。(同年、カ
ナダでは10万人に7人)この数字は徐々に下降しているものの、
国連の持続可能な開発目標に比べるとかなり高く、2030年まで
に世界の平均妊婦死亡率を70人までに下げるという目標を阻害
する要因ともなっています。世界で死亡した妊産婦のうち99パー
セントが開発途上国の女性であり、そのほとんどが防ぐことがで
きるものでした。
カムラが暮らすラジャスタン州は、新興工業国の中でも最
貧困地域であり、児童婚者や10代の母親が分娩中に死に
至るケースが多くみられます。ラジャスタン州の妊産婦およ
び乳児の死亡率はインド全体の平均より高く、歴史的、社会
的、経済的に取り残されてきた先住民出身者であれば、その
確率はより高くなります。
カルターナのアンガンワディ前で同僚と共に。(ムルギ・バイ(右))
ムルキからの提案を考えていた時、カムラは何のことだか
全くわからなかったと言います。ただ、初めて妊娠した時の
不安な気持ちだけを思い出しました。
「Darpani」と「santa ve」はカムラが使うラジャスタン州
の方言メーワーリ語の言葉。カムラは赤ちゃんが健康
に生まれてくるかどうか、いつも恐怖に怯えていました。
恐怖からくるストレスがお腹の赤ちゃんにも影響すること
も心配していました。ムルキは、最初にカムラを紹介して
くれた通訳者を通して、カムラと話を続けました。
いくらムルキが強く勧めても、いくら出産時の苦い思い出が
あっても、カムラは病院に行くことにためらいがありました。
病院、それは家から数マイルもはなれた、冷たい無菌室。
見知らぬ医者。3年前、カムラは、少し離れたジャルドホー
ル村の実家で子どもを産みました。その時は、助産師がナ
レシを取り上げてくれました。助産師と言っても正式なトレー
ニングを受けたわけではありませんが、村びとみんなから信
用されていました。
世界の多くの地域で実家で子どもを産むことを選ぶ母親は
多いですが、出産中に合併症を引き起こした場合は病院に
搬送されます。しかし、医療機関へのアクセスがないカムラ
のような女性たちにとっては、「合併症」という概念はありま
せん。出生時体重、内蔵発達、感染症、高血圧、逆子等の
知識もなく、貧血、仮死、子癇前症等の潜在的リスクについ
てはもちろん、その対策も知られていません。「正常な」分娩
とは、赤ちゃんが一命をとりとめることを意味し、「異常な」分
娩は死産を意味するのです。
そこにあるのは、生と死だけなのです。この両極端の間にあ
る様々な状況については、誰かが介入しない限り、知る由も
ないのです。
もし3年前にムルキがカムラに出会ってセンターの宣伝をし
ていたとしたら、カムラはアンガンワディに来ようと思わなか
ったかもしれません。その頃のアンガンワディの建物は決し
て行ってみたくなるような代物ではありませんでした。藁と泥
を積み上げた屋根は雨が降るといつも水が漏れ、紙にインク
で書かれたカルテはモンスーンの季節になると傷みが激しく
なりました。妊婦と幼児に必要な、乾燥挽麦、砂糖、大豆、レ
ンズ豆等の必須タンパク質とビタミンがセットになった栄養キ
ットも湿気って駄目になってしまうような場所でした。
2016年、WE(フリー・ザ・チルドレン)が屋根と床を改装し、
家具や子ども用の冬物衣料、教育ポスター等を提供しま
した。壁側にオレンジ色のプラスチック椅子が積み上げら
れています。太陽のあたる前庭にはおもちゃがあり、子ど
もたちが緑色のプラスチック製揺れ木馬を取り合いっこし
ています。
ムルキが7年前にアンガンワディで初めて会った母親たち
のことを思い出して言いました。「私の事を怖がっていたん
ですよ。きっと、私の事を信じていいかどうかわからなかっ
たんだと思います。」
ほとんどの女性が学校に通うことができない中、高校卒業
資格を要するアシャになろうという人はそれほどいません。
ムルキは高校卒業時に政府のリクルーターから仕事のオフ
ァーがありました。ラジャスタン州の部族出身の女性にとって
はまたとないチャンスでした。現在、30歳で2児の母親である
ムルキは、医療関係に従事して部族の女性たちを援助すると
いう子どものころからの夢をかなえたのです。だから、ムルキ
は、カムラが妊産婦死亡率174人に入らないように歩き続けま
す。
改修工事以降、アンガンワディに訪れる人の数は増え、
防水加工が施された建物で医療が受けるようになりまし
た。WEの介入によって、建物がきれいになって、彼女の
説得が受け入れられるようになり、評判も上ったと言いま
す。WEのスタッフが共にドアを一つ一つ叩いて啓もう活動
を行ったおかげで、評判は更に上がりました。
いまでは、二人の男の子の母親になったカムラがアンガン
ワディのベランダで座り、太陽のもとで小さな影をおとして
います。カムラの傍らで黒板に落書きをしているナレシ。お
となの会話に退屈して、母親の気を引こうとしますが、カム
ラはヒンディー語で優しくたしなめます。下の男の子は2か
月前にケルワーラに近いサイラ病院で生まれました。ビノド
と名付けられたその赤ちゃんはブランケットにくるまれてい
ます。
カムラはマンタカードを作りました。彼女の名前で作った初
めての正式な健康記録書で、カムラの体重や血圧、またビ
ノドが予防接種を受けた日付、その他色々な記録が詳細に
記されています。「マンタ」とは、ヒンディー語で「母性愛」を意
味する言葉です。
マンタカードには、出産前のケアや幼児期の発達について
のガイドラインも載っています。「子どもがだるそうな時は、い
つもより栄養を与えること。それでも、しんどそうにしていると
きは、医者を探すこと」とヒンディー語で書かれています。「2
歳までには、言葉を発するようになる」アンガンワディのスタ
ッフはカルタ村ナの新米ママがガイドラインを読むお手伝い
をします。ローテクではありますが、ママさんブログやたまご
クラブも読めない地域で、親になるという事をナビゲートする
のに役立っています。
ビノドを抱えながら、カムラは、スケジュールにそって全て
のアドバイスを実行しました。野菜もたくさん食べました。最
初の子がお腹にいた時、「私の食生活がお腹の子に影響す
るなんて気付きもしませんでした。」出産後、カムラとビノドは
病院で48時間看護を受けました。
二人の男の子もアンガンワディの保健、デイケア、保育所
のサービスを受けています。もう少し大きくなると、WEで建
てた近くのカルタナ小学校を卒業することでしょう。カムラは
もっと子供が欲しいと思っています。できれば女の子を。女
の子が生まれれば、毎年8月にインドで行われるラクシャー
・バンダンという、兄弟と姉妹の関係を祝うヒンドゥー教の祭
礼に兄弟そろって参加することができます。姉妹はラーキー
と呼ばれる友情を示すブレスレットを兄弟の腕に結び、兄弟
は姉妹を守ることを誓います。兄弟の絆を固くする国を挙げ
てのお祝いなのです。
インドでは、女の子はいまだに軽んじられ、将来に希望をも
てないことも多いですが、カムラは、アンガンワディの同僚た
ちの支えもあって、希望を持ち続けています。事実、アシャは
日本語で「希望」を意味します。
ムルキは、白衣のようなボタンのついた青いシャツをユニ
フォームとして着用しています。シンプルですが、医療改
革のシンボル的なこのユニフォームで、赤地に金の刺繍
を施した伝統的なヘッドスカーフと大胆なサリーを覆えば
準備オッケー。さあ、ノックするべき次のドアが待っています!
(原文記事執筆: ケイティー・ヘウィット 翻訳:翻訳チー
ム 山田さつき 文責:清田健介)