希望の源となる水

作物を育てるための水が安定的に確保するのが困難だったインドの農地。

この地に水をもたらしたのは、ちょっと驚くようなアイディアでした。(清田)

https://www.we.org/stories/new-wells-benefit-farmers-in-rural-india/

 

 

まるでアニメに出てくるような青い空。無邪気に仮面をかぶったこの空が、地上で暮らす者を支配する威力を秘めているのです。

カールタ・ラマは、井戸、と言っても地面の下から草の上の高さまで突き出ている石の円形物の縁に腰をかけています。

85歳の今、手には樹皮のように深く荒々しく彫ったようなひび割れの筋が何本もあり、この土地で骨を埋める運命に黙って従う男のストイックな風貌が漂っていました。

 

カールタはここ、ラジャスタン州ヴェルダラの農村の農家の5代目です。少年時代は父親を手伝って手作業で井戸掘りをしました。

何十年間は農地は灌漑用の水で満たされていましたが、その後干上がるようになりました。

カールタや水源を共有するその他の農家は、非常に苦しい状態に陥っていました。農作物は枯れ、食べ物も底をついた状態でした。

 

WE Charity(フリー・ザ・チルドレン)がこのニュースを聞いた時、現地の活動チームの仲間が、かなり物騒な解決策を持ってやって来ました。

それは、ダイナマイトを爆発させたり、重機を使って井戸の内側を掘り起こすというものでした。

重機を制御しながら破砕していく作業がおこなわれたら、岩石の中の水脈が新たに分断されて、深さを増し、地下水の帯水層に蓄えられる確率が高くなると、WEの開発専門家は断言しました。

 

カールタは当時を思いだしてメワール語で話します:”Kisan darap  riya ha” 「みんな本当に震え上がったなあ」と。

 

カールタたちは1つの選択に直面しました:井戸が枯渇して行くのを唯じっと見ているか、それとも、より多くの水が湧き出るのを期待しつつも重機の力で彼らの生き延びる手段そのものを吹き飛ばすか。

 

以下は、自然と対峙する1人の老人の物語です。

 

自然の恩恵が順調である限り、母なる自然は大して気にも留めないものです。

ラジャスタンはインドの土地面積の10パーセントを占めていますが、地表水はたった1.1パーセントに過ぎません。

そこは極端に荒れた土地で、夏の日照り続きの暑さの後は突然モンスーンの雨になり、田畑が冠水しまいます。

住民は、雨が降らない時は、井戸と地下から水を引き出す試錐孔に頼って生活しています。ちょうど2年前、この地方は飲み水の危機に見舞われました。

地下水が充分補充できず、飲料や入浴に使ったり、また食器を洗ったり動物に水を与えるといった需要に素早く対応できませんでした。

 

これはカールタの村のような小さな部族のコミュニティには大問題でした。小さな土地に住む人達は農作物だけを生活の糧としています。

つまり、家族が食べるに十分なだけの種を蒔き、売るほど余分なものを作らないのです。彼らには飲み水が必要であり、主要な食料源となる野菜を育てるために水が必要です。

 

70年前、カールタが15歳の時です。彼の父親、祖父をはじめ近隣の土地の多くの農家が掘削する場所の探索を始めました。岩盤の査定もせず、地質図も持たず、彼らは近くの丘陵地帯の尾根を調査しました。そこは雨水がジグザクコースを通るように流れ落ちるところでした。底を見ると地下水がしばしば溜まっている小さな低地がありました。ここがいいだろう、と彼らは思いました。

 

幸運祈願のセレモニーとして、彼らは地面を砕く前にココナッツを割りました。

そのあと10人余りの男たちがバールやショベル、のみやハンマーで土や岩を叩きつけ、毎日6時間かけて手作業で石を割り、牛でそれを引っ張り出すという作業を続けました。

10代の少年カールタも参加しました。当時村には学校がなかったので自由に働けたのだと、彼は通訳を通して付け加えて言います。

農民は穴が雨水で満たされるモンスーンの雨季だけ作業をストップし、寺院に行って乾季にもこの水がずっと続きますようにと祈りました。

 

1年間掘って、周辺の土地に水を引くに十分な地下水を継続的に得られるようになりました。

夏にはトウモロコシ(the kharif crop)、冬には小麦(the rabi crop)を植えました。彼らの祈りは、神に届いたのでしょう―多少は。夏が来るたびに、水位は落ちて行きました。

 

小麦はよく水を欲しがる作物でねと、カールタは説明します。

この気候とこの作物の特異性からすると、植え付けから収穫まで、シーズンを通して、畑は6,7回潅水させなければなりません。

1軒の農家の畑で、毎回150,000リットルの水を吸い上げます。カールタの作物だけでも、1シーズンにつき100万リットルの水が必要でした。

手掘りの井戸では1日に30,000リットルしか取水できず、全ての農家に行きわたるには充分ではありませんでした。

そのためこれは大問題になりました。

 

農民は水の割り当てをしなければなりませんでした:誰の土地に最初に水を支給するか、何回行うか、最初に作付けしたのは誰か、誰の農地が井戸から最も遠いか、家族全員を養えるようにするのには、数をどう数えるのか、と言うように。

水位は低下し続け、取水が不可能なところにまで達しました。
全ての井戸が修復不可能と言うわけではありません。掘削に都合の良い岩や堆積物があればそれだけで狭いトンネルを支え、何万リットルもの水の保有の重圧にたえることもできます。

農民たちに話を持ちかける前に、WE Charityは水の循環調査を行い、実行の可能性を判定して、この井戸は深く掘られてもそれ自体では崩壊しないこと、また、事実、より多くの水を排出することを保証します。この地域では15基ごとに1基の井戸だけが調査の対象として選ばれます。

 

カールタの井戸は、2013年に選ばれ、彼はしぶしぶ、同意しました。WE Charityが機材を運び込み、機械の操縦者を雇い、この計画に資金を提供しようというものでした。

しかし、それには15軒の農家全員の承諾が必要であり、コミュニティの同意によって水源が枯渇することなく長期間利用できることが保証されるとの推論を基に、農民は肉体労働で作業に協力しなければなりませんでした。必然的に、カールタが他の14軒に対してダイナマイトの使用は実用的な選択であると説いて回らなくてはならないことになります。ほとんどの農民は学校に行ったことがなく、そのため査定の報告書を読むことができませんでした。

何の証拠があって、この事業が上手く行くと言えるでしょうか?

 

「これ以上もう農業はできなくなるんだぞ」カールタは事業を信じない農家に話しました。「だから、やってみようよ」と。

 

クレーンは狭い道を部品ごとに担ぎ上げて運び込まれ、作業現場で組み立てられなければなりませんでした。

ダイナマイトは大きな岩をほぐして細かくして手作業で割れるようにするのですが、今回は簡単に岩をクレーンでつり上げて出すことができました。

爆破は周囲の山で作業する人がいなくなり、道も人通りが少ない夜間に行われました。井戸掘りの専門業者は、先ず一掘りした後、地元の住民にあれこれと掘り方を指導し、岩の中のより深い水脈に突き当たるよう角度を変えながら掘り下げて行きました。

 

カールタは、井戸が一時的に壊され、中の土が手際よく積み上げられていく様子を見守っていました。

 

「作業が半分まで完成した時でも、まだ信頼できなかった」と、彼は認めて言います。「しかし、この心配は誰にも打ち明けずにいました」。この時はじめてそれを口にしたのです。

 

カールタとその先祖の人たちは、地下を300メートル掘るのに1年もかけてきました。今回は、同じ作業がか月で終わり、深さも60メートルに達しました。

復旧作業の中には水の保有を保つために1列にレンガを積む作業もあり、さらに、盛り土 ― 井戸の周りに積む石の縁 ― を追加して、水が溢れ出ないように、また、近隣の動物から出る汚水が入リ込まないようにしました。

井戸が完成すると、農家の信頼も元に戻りました。

 

復旧作業が終了すると直ぐに水量が増え、地下水の賦存作用の確率が高くなりました。

穀物の生産高は―トウモロコシも小麦も―共に伸び、新たな作付けシーズンの数も全般的に増えました。

大豆は今ではトウモロコシと並んで植えることができます。それまではどの作物も育てられなかったのに、いまではヒヨコマメ〈豆類〉が真夏の最も暑い時にも育ち、他の作物も雨が降らない時期でも生い茂っています。

 

井戸が改造されたおかげで、地下水の賦存作用率が1日当たり80,000リットルになり、耕作可能な土地の面積は4,840平方メートルから21,090平方メートルになりました。

カールタの土地だけでも、以前の648平方メートルから現在では2,522平方メートルにまで増え、家族への影響は計り知れません。

 

「家族の食料は充分あり、みんな元気。育てたいと思えば何でも育てることができますよ」。

 

改造以来、井戸は夏でも枯渇したことがありません。

 

今は冬で、カールタは腰の後ろで手を組んで、軍曹が自分の小隊を閲兵しているように、ゆっくりと小麦畑を歩いています。

この時期は、作物の茎の高さや色は、背の高い草と同じですが、春の収穫時までにはカールタの腰までの高さになり、彼の農地は緑から黄金に変ります。

 

2人の息子は成長してしばらく農作業を手伝って来ました。やがて彼らは土地を引き継ぐでしょう。

4人の孫がその後を、そしてひ孫が・・と代々受け継いで行くことになるのでしょう。

 

「昔よりもずっと長く休憩しています」カールタは語ります。

 

(原文記事執筆: ケイティー・ヘウィット  翻訳:翻訳チーム 松田富久子 文責:清田健介)