【今日は何の日?】1月6日: 世界の戦争孤児の日/World Day for War Orphans

1月6日:世界の戦争孤児の日
World Day for War Orphans


フランスのSOS Enfants en Detressesという団体によって制定され、戦争によって親や親戚などの保護者を喪った子ども達=戦争/戦災孤児が社会的に弱い立場に置かれ、人権が保障されていない問題を知り、考えるための日です。

 

戦争という負の連鎖を断ち切り、全ての人の権利が保障される世界にするため、私たちにどんなことができるのか一緒に考えませんか?

 

<もう少し解説>

・戦争/戦災孤児が直面する問題(一例)

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2021年現在でも、世界では多くの国々で、様々な形態の争いが続いており、多くの人の命や権利が奪われています。
戦争によって保護者を喪ってしまうと、残された孤児は自力で生きていかなければならなくなります。

頼れる人がおらず、収入を得ることも困難な上、
・戦争によって食料が不足
(田畑を荒らされたり、生物兵器などで土壌や水源などを意図的に汚染されたりすることで作物が育たなくなることもあります)
・家を追い出されたり破壊されたりして住む所がない
・学校が破壊されたり軍事拠点として占拠されたりして教育を受けられない
・怪我や障害を負っても、お金や戸籍情報などが無い、物資不足などの理由で医療を受けられない
(これに伴い、感染症で命を落とす戦争孤児も後を絶ちません)
・難民として他国に逃げても、現地の住民との衝突が起きたり、差別を受けたりしてしまう
など、生きていくこと自体が困難な状況になってしまいます。

こうした困難な状況や心理につけこみ、十分に教育を受けられていない子ども達を洗脳し、
・子ども兵士として戦闘に参加させる
・強制結婚をさせる
・性産業などに従事させたり、暴力や性暴力の対象にしたりする
など、追い討ちをかけるような深刻な人権侵害が未だ行われており、深刻な国際社会問題になっています。

もちろん、戦争孤児に限らず、戦争下の全ての子どもたちに当てはまることです。

 

・第二次世界大戦と日本の戦争孤児(一例)

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「戦争孤児」というと、日本とは馴染みの薄いもののように感じられるかもしれませんが、戦後75年以上が経過した現在でも、日本の国内外には様々な戦争孤児が今なお人権が保障されていないことに苦しんでおり、高齢化の中でも必死に声を上げ、語り伝え続けています。

第二次世界大戦では、広島・長崎の原爆被害・沖縄戦・東京大空襲など、全国で何十万人もの民間人が犠牲になり、多くの子ども達が親を喪いました。他にも、出兵先の外国で親を喪った戦争孤児も国内外にいます。

1945年3月9~10日の東京大空襲では、僅か一晩の間におよそ10万人の民間人が犠牲になったと言われており[1]、厚生省(現:厚生労働省)が1948年に実施した「全国孤児一斉調査」によると、当時の日本には12万人あまりの戦争孤児がいました。しかし、戦災で個人情報が紛失して誰が親なのか分からなくなってしまった子どもや、差別や迫害を避けるために孤児であることを隠しざるを得なかった子どもがいた、調査時点ですでに死亡していた戦争孤児を含んでいない、沖縄はそもそも調査すらされていなかったなどの理由により、信憑性が極めて限定的な統計数値だといわれています[2]

終戦前後には東京や大阪などの大きな駅の内外に戦争孤児があふれ、戦争孤児たちは「浮浪児」や「泥棒」などと差別的な呼ばれ方をされて白い目で見られ、差別や迫害を受けていました。「”浮浪児に食べ物をやるな”と貼り紙をされたり(戦後、路上の戦争孤児は排除・取り締まり対象になっていったため)、匹と数えられたりするなど、人として扱われていなかった」「狩り込みと呼ばれる行政の強制保護収容では、駅などで路上生活をしていた戦争孤児を30人ほど捕まえて、トラックで夜の山奥に棄てていた」[3]という証言も残っています。

親や親族を捜そうと、盗みや物乞いをして生き延びようとしたものの、多くの戦争孤児たちが全国の駅や路上・地下道などで餓死・凍死しました[3][4]

もちろん、当時の日本政府も保護施設(集団合宿教育所)を全国につくる方針を示したものの、規模・予算ともに不十分で、これを見かねた民間有志が保護施設を用意して身寄りを喪った子ども達を保護していましたが、圧倒的に数が足りず、支援が全く追いつかない状況でした[3]

実際、先述の「全国孤児一斉調査」によれば、保護施設に収容された戦争孤児は、全体(12万人あまり)の僅か約1割(1.2万人あまり)で、施設に保護されたとしても、引き取る親戚がいなければ養子に出されていました[3]

養子や親族の下で大事に育てられた戦争孤児もいますが、戦乱の影響で人々の心は荒みきり、労働力となっていた大人たちは徴兵されたり・戦死したりしたことで、どこの世帯も深刻な人手不足に陥っていたため、養子や親族に引き取られた後も、学校に通えず奴隷のようにこき使われたり、お荷物扱いされて暴力(言葉の暴力も含む)を振るわれたり、身内からもいじめや暴力を受けたりするなど、重労働や虐待の被害に遭う戦争孤児もいました。耐えられずに引き取り先を脱出・逃亡し、再び路上生活に戻ってしまう戦争孤児たちもいたようです[3]

日本の戦争孤児たちのこうした壮絶な状況は、映画・文学作品「火垂るの墓」を筆頭に、多くの戦争記録作品で克明に描写されています。

 

・日本の戦争孤児への補償と問題点

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東京大空襲などの時は「集団疎開・学童疎開」を国策として展開し、子ども達だけ地方へ避難させたものの、都市に残った家族は空襲で亡くなり、迎えが来ずに戦争孤児となった子どもたちもいました。

都市に残った家族たちも「防空法」という当時の法律(「国民の義務」でもあった)により、「空襲を受けても避難せずに消火を優先する」などの、政府からの事実上の圧力(戦争に対する国民の士気を高める目的もあった)や、「逃げたら非国民扱い」といった歪んだ認識が当時の日本に浸透してしまったことで、被害が拡大してしまいました[5]

こうした悲惨な過去や過ちがあったにもかかわらず、日本政府は当時の軍人・軍属(補給活動、翻訳、建物の管理など、戦闘に関わらない軍関係者のこと)やその遺族に総額60兆円に上る補償を終戦以降しているものの、戦争孤児などの民間の犠牲・被害者は補償対象外としており、未だに一切の補償をしていません[2][3]

また、現在高齢になった戦争孤児が自分の本当の親は誰なのか調べようと、情報公開請求制度や知る権利を用いても、個人情報保護法などの別の法律・制度・条例などによって、資料の最も重要な部分が黒塗りだらけ、いわゆる「海苔弁」状態のものしか閲覧できないなど、様々な法律や制度が「しがらみ」(障壁)となってしまい、人権が保障されていないという問題も残っています[6]

 

ある日突然、人間どうしの争いによって家族を奪われ、壮絶な人生を送っている戦争孤児たちの苦しみははかりしれません。
戦争を停め、憎しみの悪循環を断ち切ることが最優先ですが、こうした「負の遺産」も解消していかない限り、「終戦」とはまだまだ言い切れないのです。


できることから始めてみよう!

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<参考・引用>