今こそ、どんな社会を作りたいのかを考えてみよう!
カナダのクレイグとマークのコラムの紹介です。
http://www.huffingtonpost.ca/craig-and-marc-kielburger/canada-federal-election-_b_7713780.html
国政選挙が行われるのは数カ月後ですが、選挙戦はもう事実上始まっています。各党の党首は経済や安全保障の問題について話していますが、誰も言及していない大事な問題があります。それは、「どんな社会を作りたいのか?」という問題です。
(訳者注:カナダは日本と同じ議院内閣制で政治を行っている。今年秋の議会の任期満了に伴い、10月には総選挙が行われる見込み。選挙はまだ始まってはいないが、議員たちは選挙を意識した発言や行動を既に行っている)
五月にヨーロッパのシンクタンクが出した「移民を受け入れている国の上位五カ国」には、カナダはもう入っていません。難民向けの医療費補助は削減されました。また、新たな規制によって、カナダに住む難民が自分たちの家族をこの国に呼び寄せるのは前よりもずっと難しくなりました。
この報告が出された時と同じころ、別の大事な問題を扱った報告書が公表されました。こころの健康の問題を抱えた若者が、緊急救命室に駆け込むという事例が増えているという内容でした。こころの健康の問題で支援を必要とする若者が増えている一方で、その状況に対応ができる施設が、まだ地域の中に充分に足りていないのです。
一方、私たち兄弟の母は今、高齢で病を抱えた親戚を、安心して生活できる施設に入れることがなかなかできずに苦労しています。多くのカナダ人と同じように、施設への入所待機者に何年もなっています。
「移民、若者、高齢者」この三つの異なる集団が集まれば、三つの異なる問題が出てくるでしょうが、一つの共通の課題をカナダに突きつけてもいるといえます。「カナダには人の世話をする能力が充分にあるのか」という問題です。
私たちカナダ人は長年に渡り、この国が自由と平等の理念に基づく「公平な社会」であり、全ての法律もその理念に基づいていると聞かされてきました。私たちは、(私たち自身がそう思っている)公平な社会を作り上げました。しかし、この国は「思いやりに欠けた社会」になってはいないでしょうか?
カナダ人著述家で人道的な活動でも知られているジャン・バニエは「思いやりのある社会」に対する非常にシンプルな定義を持っています。「思いやりのある社会はシンプルです。それは全ての人が他者から大切に思われる社会です」
バニエは、知的障害や発達障害のある人が有能な介助者と共に生活する事で支援や精神的な支えを受けながら生活できる「居場所」を世界中で作っている組織の創設者です。そのような組織を運営することで、自分の信念を具体化しています。数年前、テレビで「人として生きるために必要な事」をテーマに講義を行いました。私たちはその講義を通じて、バニエが考える「社会を構成するために必要なモノ」について聞き非常に感銘を受けました。バニエは「社会は相互依存。つまりは思いやりで成り立っています。困っている他人のために何かをするという事は、社会にとって必要不可欠なモノです」と説明します。
「西洋文化は、思いやりの文化ではありません。西洋文化は、人々に成功を手に入れることを第一に考えるように促す文化です」バニエは私たちに最近こう嘆いていました「人々は労働市場で勝ち組となり、より多くのお金を稼ぐように社会から促されています」
高齢者や、病気の患者、知的障害者や発達障害者など、社会のゲームに参加できない人は、社会から置き去りにされているとバニエは言います。彼らが、自分たちの成功に寄与することはないと「社会」が見ているからです。
私たち兄弟は子どもの頃は祖父と共に暮らし、家族で彼の世話をしたこともありました。そのような家庭も、今は年々少なくなっています。移民の場合だと、「高齢者の世話は家族がするべき」という考え方がまだ残っている国や地域から移住してくる人が多いこともあって、家族が面倒を見ている場合が多かったりもしますが、二世、三世になっていくに従いその文化も途絶えていきます。
知的障害や発達障害などのため支援を必要する成人や若者のためのプログラムは、バニエが立ち上げた組織をはじめ、数多くありますが、このような支援を利用できる人は全体的に見ればまだ少ない状況は続いており、バニエが支援活動を始めた1964年と同様にこのような支援活動へのニーズは高いとバニエは言います。
現在はフランス在住で世界各地を旅しているバニエは、「カナダはもう世界から思いやりのある国としては見られていない」と言います。それを表しているかもしれないいくつかの最近の例を挙げましょう。
2013年の世論調査によると、三分の二近くのカナダ人が、先住民たちが今抱えている問題の責任は先住民たち自身にあると信じており、政府に対して支援の拡充を先住民は求めるべきではないと考えています。
カナダは今、世界中に大勢いるシリア人難民のうち、一万三千人しか受け入れていません。1980年代初頭には、「ボートピープル」を呼ばれていたベトナム人を五万人受け入れていた時と比較すると、シリア人難民の数は多いとはいえません。しかも、難民を支えていくのに必要な費用の大半は政府からではなく民間による支援で賄われています。
議会によれば、今年の政府の開発途上国への支援に充てる予算は「記録的に低い額」になる見込みだということです。
選挙の年に当たる今年は、視野を大きくして考えてみましょう。「どのような社会を自分たちは作りたいのか?」を! 「人がそれぞれ上手くいっている社会」であれば、問題はないのでしょうか?「権利と平等」基づいた「公平な社会」というだけで充分なのでしょうか?それとも、全ての人を大切して助けを差し伸べることができる「思いやりにあふれた社会」を作って、世界から尊敬されるカナダをまた作りたいですか?
とは言え、政策やリーダーシップだけでなく、作りたい社会像について話し合う選挙を行うには、今回の総選挙までにはもう間に合わないかなと思っているのも本音ではありますが...
参考リンク
http://www.ctvnews.ca/canada/court-gov-t-cuts-to-refugee-health-care-cruel-and-unusual-treatment-1.1898922
http://www.cbc.ca/news/health/teens-heading-to-er-for-mental-health-care-called-exceedingly-frustrating-1.3064823
シリア人難民に関する過去のコラム
(翻訳:翻訳チーム 清田健介)