ハイチの村に新しい学校が建つきっかけをつくった少年のストーリー

ハイチのラ・ショーン村に建てられたピカピカの新しい学校。

この学校は、村でかつて起こった悲劇をくりかえさないため

に建てられました。(清田)

 

https://www.we.org/stories/tragedy-leads-to-education-access-in-rural-haiti/

 

 

ジュベルソン・ピエールは、好奇心旺盛な男の子でした。

 

ジュベルソンは2年生でした。彼は熱心な勉強家で、学校

の外でお父さんにいつも質問をしていました。「作物はど

うやって育つの?種まきを手伝ってもいい?」ジュベルソ

ンは、農家になりたいとも思っていました。

 

ジュベルソンのお父さんのジュルナーは、12人の子どものう

ちの1人である彼に、学校に集中するように言いました。学校

が大好きだったジュベルソンは、どうやって農業をするのかも

知りたがっていました。9歳のときの彼の目標は、学校に一度

も通ったことのないお父さんを手伝って、家族の農場をもっと

いいものにすることでした。2人は、宿題をきちんとやったら週

末にお父さんを手伝ってもよい、というルールを決めました。

 

ジュベルソンが平日にやることは、いつも大体同じでした。

 

ジュベルソンは、ハイチの農村部にあるラ・ショーン村の他

の子どもたちと同じように、毎朝5時くらいに起きました。お

兄さん、お姉さんたちは動物に餌をやるなどの仕事をしま

した。ジュベルソンはそれを手伝うと、顔を洗い、学校に行

くために着替えをしました。6時少し過ぎになると、1時間半

の道のりを歩き始めました。何学年か上のお兄さん、お姉

さんたちについていくために急いで、8時に始まる授業に間

に合うように通学しました。

ラ・ショーン村の子どもたちは、隣の村にある学校に通うた

めに流れの速い川を渡りました。すぐ近くに学校がないだ

けでなく、一番近くの学校までの道のりには、ボートも橋も

ありませんでした。

 

毎日、子どもたちは服を間に合わせの袋に押し込み、濁

った水の中を歩きました。大雨のせいで、川の水位が高

く、流れが速くなることが時々ありました。川底に足がつ

かない子どもたちは、服をぬらさないように片手をあげな

がら、犬かきで苦労して泳ぎました。足元の悪い川岸にた

どり着くと、もう一度服を着ました。そして、泥だらけの小道

から大きな道へ出て、学校へ向かいました。

 

 

2008年5月23日金曜日。ジュベルソンはいつもの平日と

同じように、お兄さん、お姉さんたちと学校へ出かけました。

 

ジュベルソンは、その日家に帰ってきませんでした。

 

お父さんのジュルナーは、他の子どもたちの叫び声を聞い

たとき、川沿いの畑で仕事をしていました。ジュルナーと近

所の人たちは、川の土手へと急ぎました。叫び声の理由が

分かると、大人たちは下流へ走ってジュベルソンを探しまし

た。近所の人がジュベルソンを見つけました。ジュルナーは

ジュベルソンを川から引き上げ、蘇生を試みました。

 

ジュルナーの弟(ジュベルソンの叔父)のウィリーは近くの畑

から川に駆け付け、ジュルナーがまだ息子を救おうと覆いか

ぶさっているのを見ました。ジュベルソンが川から引き上げら

れてから、すでに1時間が経っていました。何が起こったのか

は明らかでした。ジュベルソンは学校に行こうとして溺れたのです。

「何が起きたのかを知ってショックでした」ウィリーは通訳を

介してクレオール語で言います。「甥は本当にいい子でした」

 

ジュルナーは弟の話を聞いて頷きます。彼は何も言いませ

んでしたが、目には涙がたまっていました。2人は教室に座

っています。ジュベルソンが生きていたときにはなかった教

室です。

 

ジュルナーは、穏やかで落ち着いた声で話し始めます。

「確かに、私は息子を亡くしました。でも、私たちの学校

がここにあるのは彼のおかげなのです」

ジュベルソンの死後、深い悲しみと同時に、怒りと危機感が

村中に広がりました。どんな子どもだって、教育を受けるた

めに命を危険にさらしていいはずがありません。親たちは、

村のリーダーであるウィリーに助けを求めました。

 

ウィリーはよく、争いを解決するように頼まれたり、地域

の開発計画に意見を求められたりしました。ウィリーは5

年生まで学校に通うことができました。子どものころ、ジ

ュルナーが学校に通うのを諦めたので、弟のウィリーは

学校に行くことができたのです。兄弟の家庭では、子ど

も全員分の学費は払えませんでした。教育を受けたこと

でウィリーは地位を手に入れ、尊敬されるリーダーになりました。

ウィリーは回想します、「親たちが私のところに来て言うよう

になりました、『ウィリー、あなたしか頼れる人がいません。

お願いです、この村にどうやったら学校ができるかを考えて

ください』と」

ウィリーの主導で、プラスチック板を使って簡素な教室が建

てられました。柱には木が、屋根には金属板が使われまし

た。そして、ささやかな先生の給与のために、地域で資金が

集められました。「子どもの頃から、私は教育の重要性を心

に留めてきました」ウィリーは言います。彼は、自分のために

お兄さんが自らの教育を犠牲にしてくれたことを分かっていま

す。12人の子どもの父親でもあるウィリーは、自分の子どもた

ち全員と甥、姪たちにできる限りよい教育を受けてほしいと思

っていました。

 

2009年、あの悲劇から半年以上がたったころ、ラ・ショーン

村に1教室の学校が開校され、35人の生徒たちが姿を見せ

ました。保護者たちは、先生のためにチョークを1箱ずつ交

替で買いました。

 

生徒数は翌年には4倍、150人以上となりました。入学者

は次第に増え、資格を持った教師や子どもたちが入るた

めの教室がさらにたくさん必要になりました。金属板と防

水シート、木切れから教室が作られました。椅子が足りず、

2人がけベンチに4、5人が座りました。雨の日には授業はな

くなりました。

 

親たちは生徒たちに川を渡らせたくなかったのですが、校

舎の建設費や先生の給与をこれ以上負担することはでき

ませんでした。親たちはもう一度、ウィリーに助けを求めま

した。

ウィリーは地元の行政に働きかけました。彼は行政に、ジュ

ベルソンの失われた命のこと、そして村びとがラ・ショーン村

に学校を建てるために力を合わせ、その結果子どもたちが

川を渡らずに済むようになったことを伝えました。2012年に、

ウィリーはラ・ショーン村の村びと重要な目標を達成しました。

学校が正式に行政によって認められました。教師の給与を行

政側で負担するころになったのです。

 

 

2015年、ウィリーの根強い教育を受ける権利の擁護活動

が縁となり、WEチャリティー(フリー・ザ・チルドレン)との共

同事業が行われることになりました。WEチャリティーの包括

的で持続的な開発モデルは、教育への壁をなくし、人々を貧

困から救うことを目指しています。とりわけ、ハイチでは、農村

部、迫害を受けた人々、孤児などの支援に尽力しています。当

団体は、インフラ整備の質の高さ(WEチャリティーでは建設の際、

耐震技術を取り入れたデザインを使っています)と実効性のある計

画作成により、ハイチで評価されています。

 

WEチャリティーは、新しいパートナーとなってくれる村を探し

ていて、行政側に接触しました。地元当局は、村における差

し迫ったニーズが、WEチャリティーのノウハウを通じてと満た

されることを期待して、ラ・ショーン村を勧めました。

 

WEチャリティーのチームは、ウィリーとジュルナーに会い、

学校の沿革を知ると、すぐに共同事業を始めました。2016

年に、各国からの寄付に支えられて、新しい学校の建設が

始まりました。今度は、電気がつけられ、防水シートではな

くレンガでできた学校です。屋根が洗い流される心配もあり

ません。内壁は教育に役立つデザインで、外壁は輝いて子

どもたちをひきつけました。

 

入学者数は増え続けています。新しい学校には500人

以上が入れるようになります。そして、それは村の誇り

にもなっています。

「学校の外観の綺麗さは、教室の中で起きていることの素

晴らしさを象徴しています」ウィリーは言います。「外側から

見た景色は変わりました。学校を外から見ると、価値のある

ことがここで起きているのが分かります」

 

ユデラインは6年生で、ジュルナーの末娘です。ある月曜日

の放課後、ユデラインは台所のテーブルで宿題をしていまし

た。玄関の向こうに、明るいピンク色の壁をした新しい学校が

見えます。彼女やクラスメートがもうすぐ通うことになる新しい

教室です。数学が大好きなユデラインは、高校を卒業して大

学に行き、看護師か先生になりたいと思っています。「新しい

教室ができてとても嬉しいです」彼女はお兄さんの死がきっか

けでできた新しい学校について言います。

 

 

 

ウィリーは言います、「私たちはジュベルソンを活動家だと

思っています。彼の生き様、そして最期がそれを物語って

います。この学校は彼の遺産だと思っています」

 

ラ・ショーン村にいる子どもたちのおおよそ60%は学校に通

っています。WEチャリティーは、グランモン・テ・ニューという

親向けのプログラムを始めました。このプログラムは、子ど

もを学校に通わせたいけれど困難を抱えている親のために、

ヤギの飼育を通した収入の機会の提供や、リーダーシップトレ

ーニングを行っています。特に、学校に行く機会のなかった親

に合わせてプログラムは計画されています。

 

「私のような教育を受けたことのない人間なんて、なんにも

知らなくてなんの取り柄もないですからねえ。」ジュルナー

自身はこう言います。

 

しかし、それは事実ではありません。ジュルナーは学校に通

えませんでしたが、教育の重要性を多くの人に伝えました。

そして、愛する家族を失うという耐えがたい悲劇を経験しな

がら、村の未来、そして村びとの未来に永遠に貢献し続け

る遺産を築き上げたのです。

 

(原文記事執筆:ワンダ・オブライエン 翻訳:翻訳チーム

明畠加苗 文責:清田健介)