公正な医療を実現するための長き道のり

医療環境が充分ではないため、自分たちが住む地域で治療を受けられないカナダの先住民の糖尿病患者たち。ひとりの若者が、この状況を変えるために長い道のりを走り出しました。(清田)

https://www.we.org/en-CA/we-stories/local-impact/manitoban-teenager-runs-for-awareness-of-lack-of-diabetes-treatment-on-reserve

 

 
ケイレブ・ソルトーは、ウィニペグで開催されたWE Dayで15,000人に向けてスピーチをしました。

ケイレブがマニトバ州西部バードテイル・スー族の保留地にある学校で、ある日教室に座っていた時から、WE Dayのステージに立ったその時まで(その2つを隔てるのは、距離にしてトランスカナダハイウェイの350キロですが)、マニトバ州のほとんどを走りぬき、15歳にしてコミュニティの運命を背負う存在となったケイレブにとって、ここまでの「道のり」はそれ以上に長いものでした。

 

マニトバの田舎道を、ケイレブは雲一つない空の下、広大な平原を横切って、小さな町や保留地に入っては出て、7月~8月の数日間にわたり走った距離は500キロ近くになりました。
雨の中、暑さの中、疲れ果ててもケイレブが走り続けたのは、コミュニティが抱える糖尿病の問題や、特に、彼の最愛の祖母の苦労についてみんなに知ってもらうためでした。

 

ケイレブは自分がこれまでやってきたことを労うため、また、目標を達成するために、マニトバで開催されたWE Dayに参加することにしました。

WE Dayは、社会に変化を起こそうとするチェンジメーカーたちの活動を応援するスタジアム規模のイベントです。

ここでケイレブは著名人や活動家と共にステージに立ち、スピーチしました。

 

ケイレブの通うチャン・カガー・オティナ・ダコタ・ワヤワ・ティピ・スクールの校長、マイク・ガンブランは、生徒たちがこのような経験ができるようにサポートしています。

マイクは、生徒たちが自分やコミュニティの枠を超えて様々な経験をし、成果をコミュニティに還元することによって、彼ら自身の生活を豊かにしてほしいと考えています。

 

その保留地で最も標高の高い場所の一つに立ち、マイクは自身のビジョンを語ってくれました。そこから見える景色には、眼下に見える緑の谷をアッシナボイン川が蛇行し、農地が遠くに見え、近くを通る鉄道は両方向にまっすぐ伸びています。

マイクが話してくれるこのコミュニティの素晴らしさは、その絶景によく映えていました。

 

マイクはここから北に500キロ離れたクランベリー・ポーテッジの出身で、このコミュニティの学校で働くためにやって来て、住み始めました。

 

このコミュニティに住むバードテイル・スー族は近年、暴力行為や薬物依存症患者の急増などの問題を抱えていますが、マイクはその問題について話すときでさえ、希望や熱意に満ちていました。

 

マイクは、幼児から12年生まで140名ほどの生徒が通う学校で校長として指導してきて10年以上になりますが、マイクが前向きな気持ちでいられるのは、ケイレブのような生徒がいるからだそうです。

マイクは、ケイレブの15年の人生のほとんどを知っています。ケイレブのことを話すときは、友達のような自然な温もりが感じられました。

マイクは椅子の背もたれに寄りかかり、部屋の壁に貼ってある生徒たちの写真に向かって身振り手振り話してくれました。

 

「思い出すのは、ケイレブが1年生のとき、私のオフィスに来たことです。
彼は幼いのころの話をたくさんしてくれました。中にはあまりよくない話もありましたが、すばらしい話もありました。」

その「あまりよくない話」というのは、ケイレブが祖父母と暮らすようになる前の話でした。

ケイレブは、その頃は薬物乱用や暴力にまみれ、先が見えない人生だったと、マニトバでのWe Day前夜、私にもその頃のことを包み隠さず、話してくれました。

今は安全な環境で不安を感じることもなく、ケイレブは祖父母の愛に頼るようになりました。

 

祖父母から受けた愛情により、ケイレブは自分もほかの人を助けることができないかと思うようになりました。

 

この保留地だけでなく、カナダの先住民族で問題となっているのが、2型糖尿病患者の急増で、10人に8人がそのリスクを負っています。

ケイレブの祖母も糖尿病を患っています。

マイクによると、コミュニティのほぼ全員が、家族や友達に糖尿病患者がいる状況だといいます。

 

最も近い町から北に30キロ離れているこのような田舎の保留地では、糖尿病の治療を受けるという選択肢がありません。

車を持っている人であれば、マニトバ州のブランドンにある病院で透析治療を受けることができますが、4時間の透析を受けるために、片道90分かかる道のりを週3回往復しなければなりません。

1週間のうち、車での移動と治療にかかる時間は合計で21時間にもなります。その間、家族やコミュニティと離れなければなりません。

ケイレブの祖母も透析治療のため20年以上ブランドンに通い続けています。

 

ある冬の午後、祖母の車が故障してしまったことがありました。

祖母は予約の時間に行けないと取り乱し、泣いていました。ケイレブは祖母をなぐさめ、やっとのことで落ち着かせました。

祖母をなだめている間、様々な考えが頭の中を巡り、自分が何をしたいのかがはっきりしました。それは、祖母がコミュニティにいながら透析治療を受けられるようにすることです。

 

ケイレブは自問しました。「自分に何ができるだろう。」

元々運動が得意だったケイレブは、マラソンを通じてこの問題を多くの人に知ってもらい、この保留地のために透析治療の機械を購入する資金を集めることにしました。

「どんなに困難なことであったとしても、現状を変えたいと思いました。」

まずは祖父母に計画を打ち明け、それから友達、先生、最終的にコミュニティの長老たちにも話しました。

祖母が通う病院のあるブランドンまで、130キロを走ることにしました。

昨年7月のある朝、早起きしてベーコンと卵の朝食を取り、まだ暗い中、静かな牧草地を走るハイウェイ83号を出発しました。

友達もそばで一緒に走り、コーチは後ろから自転車で追いかけ、祖父母はスナックや水をトラックに積んでケイレブをサポートしました。

トランスカナダハイウェイを走り、ブランドンまで到着するのに2日かかりました。

「祖父母の乗っているトラックを見るたびに、やってきてよかったと思いました。その気持ちのおかげで私は走り続けることができました。」ケイレブは前に進もうと自分を奮い立たせたときの気持ちを思い出しました。

 

また、走ることでケイレブに感情の変化もあったようです。

「私の育った環境はあまり良いものではなく、薬物、アルコール、暴力の中で育ちました。でも走ることで何もかも忘れることができました。自分に自信が持てるようになり、前向きに考えるようになって、みんなの役に立つことをしているんだ、と思うようになりました。」

 

祖母の通う病院で歓声に迎えられ、最初のマラソンを走り終えてからも、ケイレブは近隣のコミュニティと保留地まで、さらに400キロを走りました。

ケイレブはパウワウ(訳注:アメリカ先住民の祭り)でスピーチし、彼の活動を知った長老たちからスターブランケット(訳注:敬意や感謝の意を込めて星模様のパッチワークを施した先住民の伝統的なブランケット)が贈られました。

「お年寄り、コミュニティ、みんながケイレブのことを話題にし、誇りに思っています。でも彼にとってはそれが目的ではありません。コミュニティの人々がこの地にずっといられるように走っているのです。」マイクの説明にも熱が入ります。

 

マイクがオフィスで思い出したようなずっと昔のケイレブのままであれば、これを達成することはなかったでしょう。

長老たちと心を通わせ彼らの支援を得ることもなく、近隣のコミュニティと繋がってプロジェクトに参加してもらうことも、友達の関心を集めることも、寄付を募ることも、長時間マラソンを走ることもなかったでしょう。

 

そのような境遇にあった少年が社会に変化を起こせる若者に成長したことを、今のケイレブのすべてが証明しています。

 

マイクが言うように、誰かに支えられ尊重されていると感じることにより、他の人のためにも何かしてあげたいという素晴らしい考えが生まれ、ケイレブを突き動かしています。

 

これは、この学校の校長であるマイクが見てきたストーリーです。

支援することで、目標達成に繋がる―それを生徒たちと実行に移しました。

 

薬物依存や暴力のリスクは、地域社会に還元したり、WE(フリー・ザ・チルドレン)の活動に参加したり、コミュニティから働きかけることによって防ぐことができます。

たとえばケイレブのクラスメートは、WE Dayに参加するために、午後や週末にコミュニティを回ってごみ拾いをしたり、貧しいお年寄りや近隣住民のために食べ物の寄付を募ったりしています。

 

生徒たちはWE Dayに参加することにより、その1日で何かにインスパイアされ、自分たちにも何かができるんだ、若きリーダーとして保留地の内外で良い影響を与えることができるんだと気づくことができます。

そういった機会をWE Dayは提供しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(原文記事執筆: ジェシー・ミンツ   翻訳:翻訳チーム 山本晶子  文責:清田健介)