自分たちの水を守り続けるケニアの村びとたち

ケニアの農村に建っている給水塔。

寄付による支援で建てられたこの給水塔は、村びとたちの特段の努力により民主的に管理されており、安定的な水の供給が可能となっています。(清田)

 

https://www.we.org/en-CA/we-stories/global-development/kenya-water-management-committee

 

 

 

 

 

 

 

 

地元の村小学校のグラウンドに13人の人々が集まっていました。

空に伸びる給水塔が誘うその場所には、一面のソーラーパネルが太陽を遮り、貴重な木陰ができています。

ここに集まった男女たちが担うのは、オロイリエン村での長期的な最新開発計画――――クリーンな水です。

これは、水を管理する委員会なのです。

この委員会の存在が貴重だということは、決して大げさではありません。寛大にも、資金が寄付によって集められ WE(フリー・ザ・チルドレン) のプロジェクトが始動し、試錐孔が掘られ清潔な水が地中から吹き出し、給水塔が建てられ、さらには太陽光パネルが設置され売店までもがオープンする……これらの環境を管理し、維持しているのが水源管理委員会なのです。

彼らは、村に共同所有権を浸透させることで、この計画を長期にわたり、継続可能にしているのです。

以下がその方法です。

 

 

 

構築
女性にとって、清潔な水を手に入れるということは特に深刻な問題です。
この新しい水源計画が始まる以前、ジュディ・トニオクは近所の人々と同様、学校から徒歩で4時間の場所にある川から水を汲んできていました。

飲み水であれ、掃除用であれ、料理の為であれ、農作物の為であれ、必要な水はいつでも徒歩で4時間かけて汲みに行かなければなりませんでした。

そしてその水は、とても清潔とは言えませんでした。その水を使い続けることは、常に健康への被害と隣り合わせでした。

2017年に、トニオクはその水から腸チフスに感染しました。彼女の病気は何とか治りましたが、いつでも彼女の3人の子どもたちが同じ目にあうのではないかと心配しなければなりませんでした。

トニオクと友人のジャクリーン・ナイグタは WE が学校でクリーンウォータープロジェクトを立ち上げたのを知るやいなや、さっそく参加を希望しました。この地域の中心に位置する学校に、試錐孔が掘られ、給水塔が建てられるのを、二人は見つめました。そして、給水所がオープンし、最初にクリーンな水が学校のグラウンドに噴出した際には、彼女らは何百人もの地域の仲間と盛大にお祝いをしたのです。
清潔な水が、ここにある。現実に…!そして次は何だろう、と皆は思いました。

選挙
選挙の日、トニオクとナイグタは、ちょうど彼女たちの家から中央に位置する学校で会いました。

妻であり、母親であり、農場経営者でもある二人のオロイリエン村での生活は、二人合わせると 46 年にもなります。

37 歳のトニオクは、オロイリエン村で生まれ育ち、28 歳のナイグタは、9 年前に夫と共にこの地に引っ越してきました。

二人ともマサイですが、一人はこの地で生まれ育ち、もう一人は新しい生活を求めてこの地に来た、いわば彼女らは異なるライフスタイルを象徴していました。

会議の冒頭で、WE の引率者は、この会議の目的が、水源計画の長期的な持続可能性と、それを保持し未来の世代にまでクリーンな水を提供し続けることを確約することであると説明しました。そしてそのためには、地域一帯が選挙で委員会を選出することに参加すること、そして委員会も同様に、この計画の健全な運営を監督し、地域と学校に責任を持つことが必要であると説明しました。
その会議に出席していた村びとは、それぞれが住んでいる地域に応じて 3 つのグループに分けられました。

オロイリエン村の土地は何百キロメートルもの広大な面積を誇り、岩石と砂塵まみれの道が続き、四方に農地が広がっています。それぞれの地区から委員会のメンバーを選出することはとても重要なことでした。
地区代表を決める話し合いが始まりました。ナイグタの仲間たちが、彼女を委員会のメンバーに推薦しているのを知って、ナイグタは信じられないほど驚きました。「こんな重要な役割は、経験したことがありませんでした」 そして村びとによる投票が行われました。
そして、五人の女性が、委員会のメンバーに選出され、大喝采が巻き起こりました。―― ――トニオクとナイグタは二人とも、管理職として選ばれました。

「私たちは水のない生活がどれほど厳しいものかよく解っています。だからもちろんこの計画を上手くいかせてみせます」 トニオクはなぜ人々がそんなにまで喜んでいるのかを説明しながら、そう言いました。

彼女たちは二人とも、謙虚にもこれまでにそのような重要なポジションに立った事はないと言いながらも、日曜学校では教師をしています。

きっとそこで培った指導や管理における能力をこの機会に事務官や会計係として発揮してくれることでしょう。
そして最終的に、13 名が委員会のメンバーとして選ばれました。

村びとこの水源設備の所有権を完全に保有できるよう、この委員会は、すべて村びとにより構成されています。――——―—オロイリエン村に住む彼らこそが、立ち向かうべき試練とその解決方法を解っているからです。メンバーは、奇数で成り立っているので、多数決でも方針を決めあぐねる事はありません。

特筆すべき点として、この村に関する重要な要素は、マサイとキプシギス、両民族集団からの老若男女を入り混ぜた集団であるということです。

かつて委員会の会長、ジョセフ・チェロノ氏が言ったように、民族集団間同士の対立は、村の発展を頓挫させる原因となるからでした。「みんなに、この計画を自分たち自身のものであると感じてほしいのです」。

 


 

 

 

長期継続    
委員会は、一週間に一度、いつもこの計画の心臓部である学校のグラウンドで集まります。
学校の中の給水場に加えて、道端にも一般の人々が水を買えるように売店がオープンしました。水を売って得たわずかな料金も、この計画の資金になります。

水の販売員たちの賃金や、最近は夜間にソーラーパネルを警護する警備員が雇われました。

未来に必要な修繕費の為にも蓄えられています。
水源管理委員会が、当面の任務について話し合っていると、学校のベルが鳴り、生徒たちがグラウンドへ飛び出してきました。この子どもたちが、試練に立ち向かい行動をとった、委員会の背中を見て育っていく世代です。——―—―彼らが発掘したクリーンな水をのみながら。

 

(原文記事執筆 :セディ・コスゲイ& ワンダ・オブライエン 翻訳:翻訳チーム沖野圭真  文責:清田健介)