目指している頂上は、「全ての子どもが教育を受けられる世界!」若き登山家の挑戦

「社会を変える」というのは、ひとつひとつの山場を越えて前に進む、いわば登山のようなものかもしれません。

と言うと大げさですが、今回ご紹介する若者は、文字通り登山で世界を変えようとしています。(清田)

https://www.we.org/stories/youth-climbs-mountains-to-raise-money-for-girls-education/

 

 

 

 

 

達成するのが不可能だと思えるような状況を乗り越えることを山登りに例えることがありますが、キアラ・ピカオにとって登山は単なる象徴ではありません。

女の子の教育権利のために寄付を募ったり、その問題について関心を高めてもらうために自ら選んだ困難な道のりなのです。キアラが初めて登頂したのは弱冠11歳の時でした。

 

2012年10月、友達に誘われて地元トロントで開催されたWE Dayのイベント、ユースエンパワーメントに参加した際、社会に変化をもたらすことについてのスピーチに感動し、影響を受けたことが転機となりました。

 

「世界を変えることができる、私はそう勇気づけられました。ただ、どうすればいいのか、何のためにするのかが分かりませんでした。」と彼女はそのときのことを思い出します。

 

その月の終わり、キアラの目に飛び込んできたのは、パキスタンで14歳のマララ・ユスフザイがタリバンの武装集団から頭部に銃撃を受けたニュースでした。
パキスタン・タリバンの過激派組織は女の子が学校に行くことを禁止しましたが、マララがそれに従わなかったためです。

 

「これまで生きてきてこんなに不愉快な気持ちになったことはありませんでした。私は学校に行くことができます。しかも、私が通っているのは女子校です。だから、当たり前に学校に行くことができない人がいるなんて考えられなかったのです。」

一命を取り留めたマララは女の子教育の機会のために声を上げる世界的な活動家となり、その姿はキアラのみならず、世界中の女子たちに大きなインパクトを与えました。
キアラは、マララと同じような境遇の女の子たちが直面している、教育を受けることができない不平等な状況についてもっとたくさんの人に知ってもらうという使命を見つけました。ただ、そのために何をしたらよいのかは分かりませんでした。
その夏、キアラは親戚に会いに家族でピコ島に行きました。ピコ島はポルトガルの西海岸にある人気の観光地です。

島の最高峰ピコ山(標高2,351m)がそびえ立つ緑豊かな光景を眺めていると、ある説得力のある例えが浮かびました。

 

「不公平な状況=乗り越えるべき山なのです。女の子に教育の機会が与えられない不公平な現状は、その山に登頂するように、乗り越えなければなりません。だから、私が山を登ることで現状を知ってもらい、教育の権利を奪われている女子たちの声に耳を傾けてもらえればと考えました。」

 

ただ一つ問題があり、キアラは山に登ったことがありませんでした。

両親や姉は登山経験がありましたが、キアラは幼いときに喘息を患い、かろうじてハイキングに行ったことがある程度で、運動が得意なほうではありません。

キアラのように登山経験がない人にとっては、ピコ山のような比較的標高の低い山でも登頂するのは困難なのです。

 

それでもキアラはひるむことなく、トロントに戻ってからトレーニングを開始しました。ケニアにある2つの女子中等学校を支援するため、2,500ドルを目標に募金を集めることにしました。

友達や家族に自分のチャリティー登山について呼びかけ、ピコ山に登るためにポルトガルに戻った2014年7月までには、5,000ドルが集まっていました。

 

 

 

 

 

 

キアラは、ピコ山に初めて登頂したときの気持ちを振り返りました。彼女はまるでその光景を絵に描いているような手振りで生き生きと話しました。

 

キアラのパーティはみな黙々と、登ることに全力を注いでいました。キアラはその静けさの中、立ちはだかる頂を目の前にして、足を一歩、また一歩と苦しみながら登っていく最中にも、深く考えを巡らせていました。

なぜ今自分が山に登っているのか、自分が何者なのか。そして、女の子の教育機会を支援することが自分の人生の使命だということがはっきりと分かりました。

 

この時のチャリティー登山で集まった募金額は、最終的に10,000ドルになりました。

 

その成功に後押しされ、2017年3月、キアラはいつも一緒に山に登っている父親と、タンザニアにあるアフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5,895m)の登山に挑戦しました。

 

キリマンジャロ山頂近くでは、高山病により、吐き気を催して目が覚め、苦痛で倒れ込みました。

下山が頭をよぎるなか、キアラは、そもそもなぜこの活動を始めたのかを思い出しました。
自分は途中で下山しようと思えばいつでも後戻りができます。しかし、教育を受ける権利を得るために戦っている多くの女の子たちは簡単にあきらめることなどできるでしょうか。キアラは歩き続け、キリマンジャロ山頂に到達しました。

彼女の努力により、7,000ドル以上が集まりました。

 

5か月後、キアラはヨーロッパ大陸の最高峰であるロシアのエルブルス山(5,642m)に狙いを定めました。

このエルブルス山へのアタックはこれまでとは全く異なるものでした。

 

ビザの問題により、キアラと父親がロシアに入国できたのは予定していたよりも遅く8月になってからでした。

8月には登山シーズンも終わりに差し掛かり、エルブルス山はすでに雪と氷に覆われていました。山岳ガイドによると、天候が荒れる可能性もあるが、トレイルはまだ安全とのことでした。
登頂を開始し、山頂到達まであと1日というところで、天候が悪化してきました。

 

「そこは完全に雪の世界でした。派手な色の装備を身に付けていたのでお互いの姿を確認することはできましたが、空を見上げると、何もかもが吹雪で真っ白でした。」

 

天候が回復しないまま、パーティは山頂に挑むことにしました。もう遠すぎるところまで、高すぎるところまで来ていました。

天候は悪くなるばかりです。そんな中、キリマンジャロで経験したような高山病が再びキアラを襲いました。

今回は呼吸障害の症状もありました。

 

山頂まであと600メートルの地点で、高山病による苦痛の中、キアラは登頂を諦めるほかないと悟りました。

自分が離脱して他のメンバーとベースキャンプに戻るあいだ、父親に登頂を目指してほしいとお願いしました。

 

結局のところ、キアラのパーティで登頂を果たした人は一人もいませんでした。嵐は発達して雷を伴った猛吹雪になり、金属製の装備を身に付けている登山者にとっては危険なコンディションで、山岳救助隊の車輌すらトレイルを登って来られないような状態になりました。

山に取り残されるという最悪の状況を避けるため、父親を含む登頂を続けていたメンバーも、へとへとになりながら、5時間かけてベースキャンプまで下山しました。

 

「下山を決めたのは少し難易度の高い山だったからという単純な理由だけではなく、自分の体力的に可能な範囲内で登らなければならないと思ったからです。みんなが無事でほんとうによかったです。」

登頂は叶いませんでしたが、目標に向かう気持ちを失ったわけではありません。キアラは国際開発学部への進学をめざし、ひきつづき女子教育のために啓蒙と募金活動を行っています。

家族も初登頂の時からキアラの熱心な活動に関わってくれています。

 

5年前から、トロントで年1回開催されるナイト・オブ・インスピレーションというイベントに講演者や寄付者を集めて、WEチャリティ(フリー・ザ・チルドレン)の資金を集めています。
「登山は私が変化を起こすために行っている方法の一つですが、他にもたくさんのやり方があります。山に登っても登らなくても、私は女性の教育のために常に闘っていきます。」

 

(原文記事執筆: Chinelo Onwualu 翻訳:翻訳チーム 山本晶子  文責:清田健介)