ヘイトクライムという名のカナダの国家的危機

クレイグとマークのコラムの紹介です。

https://www.we.org/stories/hate-crimes-national-crisis-canada/

2015年、カナダには80~100にも及ぶ白人至上主義団体があり、国中に差別的なヘイトをまき散らしていました。

この数字をみるだけでも、合理的な思考のできる人であれば、この数値は高すぎるし、異様だと思うでしょう。

わずか4年後のいま、カナダには300以上のヘイトグループがあると専門家は推定しています。

 

こんな数字を出されても何も恐怖を覚えないという人もいるかもしれません。それはそれで結構ですが、正直な話、ヘイトの広がりへの危機感を私たちと共有できるような人たちが、このコラムの読者層であってほしいなあとは思います。

 

約1カ月前、ニュージーランドのクライストチャーチのモスクを起こった襲撃事件で、何の罪もない50人の命が奪われました。

この襲撃は、2017年に起きたカナダのケベックシティーでのモスク襲撃事件に触発されたモノだと報じられています。

カナダでのヘイトクライムは、この2年間で50パーセント近く増加しています。犠牲者となるのは大半がイスラム教徒かユダヤ人です。先住民の人たちが巻き込まれる犯罪が以前から社会問題になっているという事実も確かにありますが、人種差別主義的な意図を明確に持った破壊行為や暴行、殺人が増えているという点を見れば「ヘイトクライム」が新たな社会問題になっていると言って差し支えないかと思います。

 

「カナダ社会はヘイトクライムと向き合うことに消極的になっていますが、これは国家的危機と言っても過言ではありません。」オンタリオテック大学で偏見や過激主義を研究するバーバラ・ペリーはこう言います。

 

カナダのメディアはニュージーランドの襲撃事件を報じてはいますが、カナダ国内の問題を報じ、地元で台頭する白人至上主義やヘイトクライムについてどのような対策がなされているのかを報じている報道機関はごくわずかです。

 

では、どのような対策をやっているのでしょう?私たちがみる限りでは、「たいしたことはやっていない」ようです。ケベックシティーでの襲撃事件のあと、カナダ議会の諮問会議が人種差別とヘイトクライムの対策に関する提言を作成しました。昨年に作成された提言では、メディアのコメンテーターや政治家に対して、自身の特定の宗教や人種に関するコメントが、ヘイトに関する情勢に影響を与える可能性があることを認識できるような研修の実施を提案しています。

また、人種差別を誘発するような「フェイクニュース」の拡散の法的対応の強化、ヘイトクライムの操作を担当する警察への支援の拡充を提案しています。

 

この提言はいまのところ国の対策に反映されていません。

 

「政府の動きをみると、ヘイトクライムへの対策は縮小され、むしろ後退しています。」ペリーはそう言います。

 

この問題の根源を作り出しているのは、法律というよりは現場です。カナダの警察は右翼の過激主義者を脅威とは認知せず、まるで軽犯罪のように扱っています。また、既存の法律もうまく活用されていません。カナダの法律は民間人の軍事的武装を禁止していますが、白人至上主義団体は武装訓練をしている様子を堂々とSNSに投稿しています。しかし、逮捕されてしかるべき刑罰を受けている人は誰もいません。

 

法の執行の問題だけでなく、法律による厄介な規制が問題になっている側面もあります。

ヘイトクライムを検察が立件するには、法務省からの許可が必要です。(そのような規制を受けている犯罪は多くありません)また、2013年にヘイトスピーチ法が撤廃されてしまったため、暴力行為を誘発するような危険で卑劣な言動を社会から排除することが難しくなってしまいました。

 

「このような状況が、結果としてヘイトの広がりを助長しているということを、人々は認識するべきです。」ペリーはそう警鐘を鳴らします。

 

具体的な行動を取らなければ、今後もより多くの命が奪われることは確実です。

その具体的な行動とは何かといえば、白人至上主義者が社会の脅威となっていることを警察に認知させる研修を行うことです。

ヘイトクライムの捜索への支援を政府がきちんと行うということです。

また、関連する法律をしっかりと執行し、危険な行為を行った者の行為をしっかりと立件し処罰することができるように、法的規制を撤廃しなければなりません。

 

ニュージーランドでの悲劇をきっかけに、世界は行動を起こさなければなりません。もちろんカナダも例外ではありません。

ヘイトはカナダにもいまだに存在し、放っておいたら治る病気ではありません。

ヘイトは国家的危機であり、行動を起こして対処するべき社会的病理なのです。