反人種差別のキャンペーンを行っているカナダの若者たち
カナダ社会にはびこっている人権差別。今回ご紹介する若者は、We Dayに参加したことをきっかけに、人種差別と闘うアクションを起こしました。(清田)
https://www.we.org/en-CA/we-stories/local-impact/quebec-student-fights-racism
「私たちは国が負っている傷を皆で治さなければなりません。そして、あなたたち、つまり若者こそ、その特効薬になるのです」。We Day オタワのアリーナで、16,000の若者を前に、マレー・シンクレア上院議員は宣言しました。
この言葉は、10年生の生徒、ドノヴァン・ファラオニの胸に熱く響きました。
マニトバ生まれでTruth and Reconciliation Commissionの元議長,シンクレアがIndigenous Canadians(カナダの先住民)が辛苦をなめた寄宿制の学校の暗い歴史―彼の父母、祖父母も共に経験していたのです―を熱く語るのを聞いているうちに、ドノヴァンは、もう黙ってはいられない、今こそ声を上げる時だと思いました。
ドノヴァンは、Quebec’s Bishop’s College SchoolでWE Take Action クラブを立ち上げました。
「We Dayで聞いたメッセージを伝えれば、一緒にアクションを起こす仲間を増やせるはずだと思ったんです。」と、ドノヴァンはこのクラブの設立について語っています。
学校で共に学ぶ生徒にも奮起させたいと、ドノヴァンはWE(フリー・ザ・チルドレン)に相談しました。
そして彼のクラブは学校や先生の支援を受けて、僅か2,3週間のうちにその構想について同意を得て、WE の窓口であるトリスタン・ジョーンズから訪問の約束を取り付けることができました。
Bishop’s College Schoolの260人の生徒を前に、ジョーンズは先住民の問題に対する彼の話をし、熱い思いを伝えました。そして彼は、生徒たちに自分たちのコミュニティに関心を持って欲しいと訴えました。
生徒たちは一連の行動でそれに答えました。今その活動にケベック州政府も注目せざるを得なくなっています。
バルドールの先住民のコミュニティに対する脅迫や暴力、性的暴行がケベックの警察の手によって行われているという不祥事が発覚したことに憤り、生徒たちは、人種差別とたたかい、闘う仲間を増やそうと結束して活動を始めました。
変革を求める活動が、小さな教室の中でスタートしました。
まず、生徒たちは取り組みたい問題について具体的に考えることを学びました。
そして、飢餓や貧困、住宅のことなど様々な問題を議論する傍ら、最終的に、活動計画の焦点として人種差別、警察組織の人種の構成の偏りなど、バルドールに限らずケベック州全体の先住民が直面している問題を選びました。
「ドノヴァンは国内やニュースの中の出来事について非常によく知っています」とBishop’s College Schoolの学生生活部の主任補佐、フランソワ・テシールが言います。
「彼は、それほど知られてはいないけれど重要なこの課題に取り組むと決めたのです。」
WE Take Actionとドノヴァンとの共同作業の甲斐あって、Bishop’s College School はシャーブルック市での警察組織の民族的構成の偏りの是正と、組織的に発生している人種差別をめぐる問題に社会が注目するきっかけを作った立役者となりました。
「まず調査から始めました」とドノヴァンは説明します。「そして発見しました。バルドールの人々は自分たちの要望をすでに決めていたのです:州の調査です。彼らを支援することに、私たちは最善を尽くしてきました」。
クラブを介して、他の生徒たちのも変革の担い手となっていきました。
10年生のピエール・アングレイドは、警察に非白人が少ないことに注目して欲しいと、率先して学校や地域で啓蒙活動を行いました。
ピエールは、ケベック州では全人口の11%が非白人であるのに対して、警察庁に勤務するのは僅か1%に過ぎないという事実に注目して欲しいと呼びかけました。
この問題は、半数近くの生徒がカナダ以外の出身者である国際的な学校で共感を呼びました。間もなく生徒たちは、通路のいたる所やシャーブルックの町全体にスローガン・”Finding Balance”(警察の人種的構成の偏りを無くそう)を提唱するポスターを張り巡らしました。
ただ意識向上だけに満足することなく、10年生のララ‐ジョーレ・モーンダーは、生徒や地域の人たちにQuebec Inclusif の嘆願書に署名させるようと先頭に立って後押しし、ケベックおよびラボラトルの先住民族議会の議長、ギスレイン・ピカールが要求したように、警察組織内での組織的な人種差別に関する調査委員会の開設を求めるロビー活動をしました。
一方ドノヴァンは、Ministre de I’Education de I’Ensiegmenet(教育省)に書簡を提出して、アガス・クリスティのAnd Then There Were None(「そして誰もいなくなった」)の仏語の訳本のタイトルの改訂を強く求めました。
仏語版―タイトルDix Petits Negres―には、生徒たちには我慢できない人種差別的な含みのある用語が使用されています。
「活動の段階のいたるところで生徒たちの成長が見えるのは素晴らしいことです」とテッシーは話します。「教育者として、感謝しかありません」。
生徒たちのキャンペーンの後ろで活動計画をそれとなく支えて来たジョーンズにとって、このグループが与えた強い影響は、何も驚くべきことではありません。
「誰かがスピーチをすると、生徒たちにはいつでも聞ける準備が整っているので、その内容を理解するのです」と彼は話します。
「ここは信じられないほど国際的で様々な生徒が集う学校です。だから誰もがこのような深刻な会話にも順応します。生徒たちはそれを理解して、同調しました」。
ドノヴァンが先頭に立つWE Take Actionクラブには、闘いのスピードを落とすという選択肢などありません。
テシールを通して、彼らは11年生のカミラ・ガリーバとも親しくなり、秘めた情熱を注ぐもう1つ別の目標を見つけました。Bishop’s College Schoolを出発点として、カミラは国境なき師団について学びました。
それから-彼女が育ったロシアで医師として働く母親の姿に感動して-貢献したいとの気持ちを固めました。
今は、Donovan and the WE Take Action Clubの援助を受けて、彼女はその目標達成のためのファンドレイジングのキャンペーンを行っています。
(原文記事執筆: ジェシー・ミンツ 翻訳:翻訳チーム 松田富久子 文責:清田健介)