医療ボランティア研修が育んだ、国を越えた医療への想いと、医療従事者同士の絆

ケニアの病院で行われた医療ボランティア研修。

その現場には、アメリカとケニアの医師が、共に力を合わせて真摯な姿勢で患者ひとりひとりに向き合う姿がありました。(清田)

https://www.we.org/en-CA/we-stories/global-development/medical-volunteer-trip-in-kenya

 

 

 

 

 

 

 

ケニアのマサイマラにあるバラカ病院で、フロレンティーナ・ウワマホロ医師と助手のテッド・スミスが生後10ヶ月の患者への投与量を計算しています。

二人は数分前に会ったばかりですが、すでに赤ちゃんの突然の発作の原因を特定しようと心を一つにしていました。

ウワマホロは簡単な計算を少しやってスミスに結果を伝え、彼はカルテに書き留めます。

スミスはアイオワ州のウェイブリー出身で、地域診療について学ぶために、バラカ病院のウワマホロに付いて回って夏季休暇を過ごしています。

現在、彼はアメリカから来た他の八人の医師と共に、ME to WE医療ボランティア研修の一員としてケニアにいます。この研修は、両国の医師たちがこれまでにない観点を持って医療を行うことを目的としています。

赤ちゃんのボニフェイス・キプロティチはその日最初の患者です。

彼の母親のジュリアーナ・キプロティチは、バスに乗りそれからバイクで、計5時間の旅をしてマサイマラ国立公園の近くにある彼女の暮らす観光キャンプからバラカまでやって来ました。

彼女の息子は生まれつき疾患を抱えています。

彼は別の病院での難産の後脳の損傷を患い、その病院の医師たちは、彼が半永久的な病気を抱えて生きることになるだろうと彼女に言いました。

数週間前、ボニフェイスは熱を出して何も食べようとしなかったので、彼女は自宅近くの別の病院に連れて行きました。

彼は薬を処方され、熱は引きましたが、発作に苦しみ始めました。

キプロティチは訪問中の内科医について地元の市場で聞き、息子をバラカへ連れて行くことに決めました。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

打ち合わせの後、スミスとウワマホロは前回の処方の投与量が多すぎたという結論を出しました。

従って、それより少なければ発作は止まるでしょう。キプロティチは安心しました。
彼女はもっと複雑なものを恐れていたのです。

この研修はワシントンに拠点を置く非営利団体CHGのMedical’s Making a Difference基金に援助を受け、医療提供者が仲間同士学び合うために、マサイマラでの一週間の遠征に彼らを送りました。

アメリカの医師たちは、バラカの職員と協働で患者を診察し治療できるように、彼らと組になりました。

訪問中の医師たちは彼らの診察技術をその地域特有の症例に柔軟に対応させ、地元の職員は国境を超えて治療法がどう違うのかを発見しました。

スミスにとってこの研修は、珍しい症例を治療し自分の知識を広げる機会を与えました。
「私たちは菌類によって引き起こされた病気を治療しました。その病気は、26年医師助手をやってきて本で読んだことしかありませんでした」と説明します。

ウワマホロにとっては、自分と異なる医療環境から来た人と働くことでやり方を比較できます。

「私たちで異なった結核の治療法を共有するのは興味深いです。そのような症例はアメリカでは珍しいのですが、彼らはすぐに結核患者を隔離するということを共有していました。しかしここでは、時々結核患者を治療していますが、危機的状況でなければ薬を処方して家に返すことが多いです。私たちはその後の2、4、8か月に薬が効いているか調べます。」

 

 

 

 

5日間のコースを通して、医療チームはマラリアから肺炎から関節炎まで400人以上の患者を診ました。

バラカ病院はいつも慌ただしいですが、今週は外国の医師が呼び物となってことさら多忙でした。

彼らが到着するまでに、医院の職員たちは地元の学校や教会にポスターを貼り出し、噂を広めるために市場で宣伝しました。何百人もの人が海外からの医者に興味を持って、治療を受けようと現れました。その地域で最も熟練した病院の一つとして、バラカ病院は独自にボランティアの医師と大量に流入する患者を受け入れるよう配置されています。

WE Charity(フリー・ザ・チルドレン)によって2010年に設立され、病院に乏しく行き辛い農村部において医療の多大なニーズを満たしまし\た。

外来診療専門の病院として始めたのが、拡張して産科、手術室そして入院棟を組み込みました。

病院は現在、マサイマラの周辺の地域に一次医療と二次医療を提供しています。

施設の良さにも関わらず、訪問した医師は多少の職業的なカルチャーショックを経験します。

レーガン・アルフォードはアリゾナ州のフェニックスから来た外科医助手で、自身の安全地帯とは程遠いところにいます。

アルフォードは外科手術を手伝うのには慣れましたが、今週は総合医療を取り扱うバラカ医院の臨床部長ピーター・ワチラとペアを組んでいました。

最初の日、アルフォードはワチラが患者の世話をしていたように自分も診たり聞いたりして、診断手順を集中的に復習しました。しかし、まもなく患者たちが次々に来て、病気の幅広さに驚き飛び上がりました。

「地元で私たちはほとんど全てのことについて医師を専門化してきましたが、ここでは一人でそれら全てに対処するのです」とアルフォードは語ります。彼女たちが一緒に働く2日目までに、二人はルーティーンを作りました。治療について相談する間、ワチラがアルフォードのために翻訳し、彼女はメモを取ります。ワチラと病院の職員にとって、多様な患者と向き合うことが日常です。様々な事例を毎日診ることで、医師は幅広い病気と治療の選択肢を特定できるようになります。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケニアの農村では専門治療が滅多にないので、患者に仕えるために医師たちは即応性を維持します。「この地域で専門医の元へ行くのは難しいです。特化型医療は身近になく、いつも手頃な価格ではありません」とワチラは言います。

こういうわけでこのような研修はとても重要なのです。

出張して来た医師と地元の医師は、彼らの患者と同様に、より多様になったチームでの診断のから恩恵を受けています。

バラカでは訪問医師が彼らにとっての安全地帯を離れ、地元の医師たちが敏捷でいる中で基本に戻った医療を行い、国境を越えて国境を越えて手順や治療を学びます。ここでは誰もが利益を得るのです。

 

(原文記事執筆:セディ・コスゲイ 翻訳:翻訳チーム 中根葵  文責:清田健介