先進国が、エチオピアに対する認識を改めるべき理由

クレイグとマークのコラムの紹介です。

 

https://www.we.org/stories/west-reexamine-ethiopia/

 

エチオピアで最も小さい村のひとつであるKilenso Mokonissa村で、9年生の生徒たちが、民主主義の原則についての授業を受けています。

彼らは、エチオピアの農村の風景が見渡せる広々とした教室で授業を受けています。

わずか6年ほど前まで、エチオピアでは「国民主権」のような概念を学校で学ぶことなど考えられないことでした。

そのようなことについて学ぶことは、故メレス・ゼナウィ元首相の暴政下では禁じられていたからです。

しかし、この数年エチオピアは大きな変革を遂げています。

 

私たちと同世代のみなさんは、1984年にエチオピアで発生した飢饉のイメージが強いことでしょう。

ですから、「民主主義について学ぶ国」というイメージとは完全に真逆のイメージを持っていると思います。

私たちの世代は、「エチオピアは餓えた子どもで溢れかえっている国」という風にみんな教わっていたという訳です。

いまは2019年ですから、飢饉が発生してから35年も経っている訳ですが、飢餓でお腹を膨張させている人たちが、乾いた草地で苦しそうな表情をしている人たちがいっぱいいて、インフラも貧弱というイメージが未だにエチオピアに関しては強いのが実情でしょう。3月にエチオピアで航空機が墜落する事故がありましたが、正直なところ、「いろいろ大変な国だからこういう事故も起きるんだろうなあ」と、どこか冷めた目線で見た人もいるのではないでしょうか?

私たちは、このような無意味な同情や固定観念を捨て去り、害にしかならない思いこみを無くすべきです。

 

昨年エチオピアを訪れた経験(昨年マークはエチオピアを何回も訪問しています)から言っても、くだらない思いこみを捨て、現実と向き合うべき時がきていると感じます。
別に、「エチオピアについて何も知らないの?」と、私たちがみなさんをバカにしたくてこういうことを言っている訳ではありません。私たち先進国の人間が、海外に対して何かしらのアクションを起こそうとする場合、どれだけの正確な情報を知っているかが、支援やアクションの内容や質を大きく左右するからです。正確な情報を持つことは大事なのです。

 

国連によれば、2004年以降、エチオピアの経済は毎年最低10パーセント成長しています。

この間、教育や医療に国が費やす予算は大幅に増え、国民の識字率は倍以上に向上しました。

特に女性の識字率の向上は目覚ましいモノでした。

IMFによれば、妊産婦死亡率は、1990年には1400人中1000人が亡くなっていたのが、2015年には1400人中350人という数値にまで大幅に低下しました。

 

2018年には、同国初の女性大統領であるサーレワーク・ゼウデを選出するという、歴史的快挙を成し遂げました。

また、同年には、改革派のアビー・アハメドという政治家が、史上最年少の首相になりました。

二人とも、歴史的には虐げられてきたオロモという民族集団の出身です。

そういうバックグランドを持つ二人が、政府の最高位の職に就いたということは、多くの人に希望を与えました。

 

「我が国の首相と大統領を見て下さい。二人ともオロモでありながら高学歴なんですよ!」WE(フリー・ザ・チルドレン)のエチオピアの現地スタッフが最近出会ったオロモの農家のJembere Bekele,は語ります。「もし教育を優先的に私たちが大事にすれば、私たちはもっと偉大になれると思います!」

 

また、同国は最近より平和になりました。

昨年の7月、隣国エストリアとの国境紛争が終結しました、紛争により多くの人が亡くなり、両国の経済に壊滅的な打撃を与えていました。

そして、ゼナウィの独裁政権下で投獄や国外追放されていたジャーナリストや活動家が、自由の身となりました。

 

経済界も、いまエチオピアの変化に気づき始めています。

1月に、アハメド首相は、エチオピアが2020年の世界経済フォーラムの開催国になったと発表しました。

このイベントには、1000人以上の政界・経済界・市民社会・学界のフロントランナーが招待されます。

 

エチオピアが、まだ様々な課題を抱えているということは事実です。

しかし、「問題だらけの国」という考え方を持つのはやめるべきです。

そもそも、ある国が抱えている危機についての情報をみなさんがたまたま読んだからといって、その情報ひとつで、その国のことをわかったような態度を取ること自体が間違っています。

エチオピアの事例がそのことを立証しています。

 

1984年のエチオピアの飢饉の際にも、チャリティー活動はありましたが、はっきり言って,その時に行われたチャリティーの大半は、「お涙頂戴頼み」の、最悪なモノでした。

これは、絶対にチャリティーが取ってはいけない、間違ったやり方です。

このようなやり方で集めた資金はその場しのぎにしかならず、根本的な解決策になりません。また、支援を必要としている国に関して、資金を集めるために、上から目線の「かわいそうな国」のイメージを意図的に一方的に発信することは、支援国のマイナスイメージを先進国に植え付けるだけで、誰の得にもなりません。

それは、支援につながるどころか、支援を必要としている国の先進国への依存度を強める危険性さえあります。

私たちがやるべきなのは、「一方的な上から目線の支援」ではなく、「支援する国の底力を引き出すために、その国の人たちと共に汗を流すこと」なのです。

 

私たちは、「海外を助ける人」になるのではなく、「変革を共に起こすパートナー」になるべきです。

それこそが、真の国際支援のあるべき姿なのですから!