児童婚と闘うエチオピアの少女たち
児童婚を強制させられそうになっていたエチオピアの13歳の少女。
そんな彼女のために立ち上がったのは、子どもの権利や教育を受ける権利の大切さを誰よりも知っていた仲間たちでした。(清田)
https://www.we.org/stories/ethiopia-girls-club-fights-child-marriage/
2017年2月のある日曜日、エチオピアの農村部のシャニ・コンダラ村で、13歳のアズマウ・カマルはいつもより早く起きました。彼女には定期的にやる、家の家事がありました。
それは、水汲み、掃除、2キロ離れた川まで歩いて行ってする洗濯でした。
しかし、彼女のスケジュールには、もっと重要なことがありました。
彼女は学校へ向かいました。
冬休みで閉まっていたのですが、学期末の成績が事務所前の掲示板に張り出されていたのです。
彼女は自分が6年生全体の上位10人に入っているかどうか見たかったのです。彼女は入っていました。
目標を達成した満足感に満たされて彼女が帰宅したとき、両親と10人兄弟のうち6人と暮らす泥れんが造りのバンガローの居間に、村の長老たちが大勢集まっていました。
だれも何が起きているのかを彼女に言わず、彼女はすぐに居間から追いやられました。
アズマウのお姉さんが話を切り出しました。
アズマウは明日、結婚する。長老たちは彼女のお兄さんの友だち-彼女がほとんど知らない若者-の代わりに家にやってきて、彼女に結婚を申し込んだ、という内容でした。
アズマウは、たちまち自分の将来が壊れるのがわかりました。
もし結婚すれば勉強をやり遂げることができず、先生にもなれません。自分が本当に愛する人と出会う機会も得られません。
「私は長老たちや両親の前で泣き出しました。そして、私をお嫁にやらないで、と頼みました」アズマウは当時を思い出して、通訳を介してオロミグナ語で話しました。
彼女が嘆願しても、どうにもなりませんでした。
月曜日に学校へ戻る代わりに、彼女は新郎と彼の家族と一緒に新居へ引っ越すことになるでしょう。-強制的に退学させられての結婚。エチオピアの農村部にいる多くの若い花嫁たちのように。
しかし、アズマウは彼女たちとは違っていました。彼女はシャニ・コンダラ小学校のガールズ・クラブのメンバーでした。
彼女の教育、自分の人生を自分で決める権利のための闘いは始まったばかりでした。
月曜日の朝、アズマウが学校に来なかったので、一番の親友である15歳のケミラ・アリイリは、どうしたのかと不思議に思いました。
「私たちは近所に住んでいなかったので、私はアズマウと一緒に学校に通っていた男の子たちに、彼女が病気かどうか尋ねました」とケミラは言いました。「彼らは私に、いつものようにアズマウの家に行って一緒に学校へ行こうと彼女を呼んだとき、彼女が結婚したと聞いた、と言いました」
そんなことはあり得ません。ケミラとアズマウは、二人とも大学へ行くつもりだったのです。
実際、二人は2016年にガールズ・クラブに入り、早婚よりも教育を優先させる社会になるように、村の考え方を変えようとしていました。
彼女たちは結婚に同意していない少女たちに代わり、結婚をやめさせて学校へ戻ってこさせようと仲裁さえしていました。
ケミラは、アズマウの結婚は合意に基づいていないと思いました。そして、その疑念をクラブに伝えました。
ガールズ・クラブは、WE(フリー・ザ・チルドレン)のエチオピアのパートナーであるイマジンワンデイの支援を受けて設立されました。
すべての子どもたち、特に少女たちの教育の重要性についての意識を育成することを目的としています。
クラスの成績上位であるケミラは、この権利擁護の活動に献身的に取り組んでしていました。
彼女の二人のお姉さんが、政府や学校の先生として、高校卒業後にキャリアを積んでいた姿を見ていたからです。
その情熱をかわれて彼女はクラブの副代表となり、そしていま、彼女の一番の親友が危機の真っただ中にいたのです。
合意なき結婚は一刻を争うため、クラブは絶対確実な対処法をもっていました。
シャニ・コンダラ村では、結婚して最初の15日間は祝賀の猶予期間です。
しかし、16日目に新婚夫婦が花嫁の家族を訪ね、その後二人が新郎の家に戻ったとき、花嫁は正式に嫁と見なされます。
一度そう認められると、女性にとって離婚するのはとても大変なことになります。
離婚した女性は、村の中で汚名や差別を受けることがあるのです。夫の家族から報復を受けることさえあるのです。
その月曜日は、アズマウの結婚2日目でした。
一刻を争う中、ガールズ・クラブは活動を始めました。
まず始めに5人の委員を選び、学校職員に今回の「児童婚疑惑」を知らせました。
次に、校長とアズマウの学級担任が委員と一緒にアズマウの家族を訪ね、その結婚が同意に基づいたものかどうか確かめる必要がありました。
もし同意に基づいていなければ、委員は双方の家に掛け合い、結婚を解消するか延期するかして、アズマウを学校に戻さなければなりません。
委員がアズマウの家族を訪ねる手はずを整えられたのは、彼女が結婚してから5日後でした。
ほとんどの親と同じように、アズマウの両親は、初め、彼女を結婚させたことを認めませんでした。
訪ねてきた委員に、彼女はお使いに出かけているだけで、すぐに戻ってくるだろうと言ったのです。
しかし、ケミラが、自分がアズマウについて聞いたことを話すと、両親はアズマウを結婚させたことを認めました。
それから家族と委員はじっくりと話し合い、委員はアズマウの両親がその結婚を解消するよう働きかけたのです。
「私たちはアズマウの両親に、教育は結婚よりも価値があるものだと話しました」とケミラは言いました。「たとえ裕福な夫と結婚したとしても、お金はいつかなくなります。でも、彼女が身につけた知識は、何があっても彼女のものなのです」
アズマウの父親であるカマル・アブドゥラ・リーは、その時の話し合いをよく覚えています。「私たちは彼女たちに言いました。シャリーア(イスラム法)は、離婚を認めていないと」と彼は言いました。「しかし、その時、彼女たちは言ったのです。シャリーアは、子どもが結婚できるのは18歳になってからだと言っている。だから、私たちはアズマウに勉強を続けさせなければならない。そうしなければ、法を破ることになると」
それを聞いて、両親は納得しました。その同じ日、委員はアズマウの夫の家族を訪ね、自分たちの主張を説明しました。
これはもっと骨の折れるものでした。
次の10日間、委員は夫の家族を説得しようと何回か家を訪ねましたが、ほとんど進展がありませんでした。
活動しているものの、これでは時間がなくなってしまうと委員は思いました。
アズマウにとって、結婚生活は何よりも恐れているものでした。彼女はとても学校に戻りたがっていましたが、夫は許しませんでした。
結婚式の間、彼女は絶望して泣いていました。
しかしその一方で、夫とその家族は、彼女の近くで楽しくダンスを踊り、歌いました。
時が迫り、アズマウは友だちが事態を何も進展させられなかったことを悟り、ますます不安を募らせました。
結婚して15日目の朝になっても、アズマウの夫の家族は、意見を変えていませんでした。
アズマウは早起きして、川へ水を汲みに行くと姑に言いました。
しかし、そうする代わりに、アズマウは逃げました。自分の両親の家に戻ったのです。
「娘は大泣きして、もうこれ以上、夫と一緒に暮らしたくないと私たちに言いました」と、彼女の父親のリーは当時を思い出して話しました。「しかし、私たちはすでに考えを変えていました。私たちは全員、娘は夫の元に戻るべきではないという意見で一致したのです」
アズマウの両親は、彼女に代わって夫の家に話をつけに行きました。
そして、その結婚は解消されたのです。
約1年後、14歳になったアズマウは、学校に戻っています。
7年生になったその陽気な少女は、今はあの15日間の結婚のことを思い出して笑っています。
彼女の両親は、結婚は彼女がする気になった時にすればいいと思っています。学期の始めに、父親は彼女にノートとペンを買ってあげました。
彼女の教育をサポートする気持ちを表すためです。父親はアズマウの3人の妹も学校に通わせ続けることを約束しました。
アズマウの成績順位が気になりますか? 72人中の13番目です。しかし、彼女は気にしていません。彼女には上位に返り咲くための十分な時間があるのですから。
「私は先生になりたいんです。だって、もし先生になったら、ガールズ・クラブの顧問になって、自分のような女の子を助ける機会がもてるから」とアズマウは言いました。「私は自分にたくさんの選択肢があることを学びました。だから、私はそれら選択肢をすべて使って、全力で自分の権利のために戦うつもりです」
アズマウの存在は、ガールズ・クラブにとって、つまり、学校の友だちを助けるためにはいかなる手段をも使う覚悟ができている10代の少女たちにとって、もう一つの勝利の証です。
実際、2017年に、結婚を強要された8年生の生徒の家族が結婚の解消を拒んだとき、クラブはその家族を地方裁判所に訴え、勝訴しました。
その少女は今、高校生です。
ガールズ・クラブの恐るべき名声は、共同社会の中で先駆的な存在となり始めています。
「ほとんどの場合、親たちは少女を結婚させようとしたことを認めず、彼女が同意していると言うでしょう」と、そんなはずはないというふうに首を横に振りしながら、ケミラは言いました。「でも、仲裁したほとんどの少女たちは、私たちと一緒に戻りたがるのです」
だから、ガールズ・クラブの活動はこれからも続きます。
(原文記事執筆 シネロ・オンワル 翻訳:翻訳チーム 鈴木佳寿美 文責:清田健介)