「故郷の文化の、『守り人』になりたい!」:エクアドルの先住民の若者の決意
文化や言葉は、人や地域を形作る大切なルーツです。
その文化を守るのは大変なことですが、今回ご紹介エクアドルの若者は、自分のルーツである故郷の文化を守ろうとしています。(清田)
https://www.we.org/stories/teen-is-connected-to-indigenous-history-through-language-in-ecuador/
ヤリーダ・アギンダは、二つの言葉の間で板挟みになりながら育ってきました。
そのひとつは、エクアドルの主要言語(役所や大きな街、就職のためにも必須で、ヤリーダの友達も話すときに使っている言葉)であるスペイン語、もうひとつは、 ヤリーダの家族が話す言葉で、ヤリーダの家族たちとは文化的にも歴史的にも、切っても切れない縁にある、アメリカ先住民諸語のひとつであるキチュワ語です。
子どもの頃の一時期、ヤリーダは祖母と一緒に暮らすことになったのですが、祖母が知っていたスペイン語は、「シレンシオ」(沈黙)だけ。
ですから、祖母と一緒に暮らしていくために、キチュワ語を覚える必要があった訳です。
でも、ヤリーダは日常会話をすぐに覚えて、あっという間に流暢なキチュワ語を話すようになりました。
やがて、この新しく覚えた言葉を使って、昔のことについての話を聞くようになります。
かつてはいまのような発展した街ではなく、熱帯雨林の小さな村だった頃の地元の話や、ヤリーダが会うことのできなかった祖父についての話を聞きました。
いまは16歳になったヤリーダは、祖母とキチュワ語で夕食時にお喋りしていた日々のことをよく覚えています。
でも学校に行くと、スペイン語を話すクラスメートたちとの学校生活を送っていました。
ヤリーダの住むBellavista村は、ナポ川沿いと農家と、アマゾンの熱帯雨林側の住宅街に分かれています。
世代間の言語による分断もあります。
スペイン語は「未来の言語」であり、キチュワ語は「過去の言語」なのです。
「これは最も深刻な問題かもしれません」ヤリーダは通訳を介してスペイン語でそう語ります。
そして、この分断をもたらした諸悪の根源は、過去に行われた人種差別主義的な植民地支配だと指摘します。
「いまの若い人たちは、自分たちの本来の母語を喋れないという現実を直視しようとしません。その現実と向き合うことを恐れているのです。『キチュワ語なんて大昔の言葉でしょ?なんで自分たちが話せるようにならなきゃいけない訳?』という言い訳をして。」
ヤリーダは、他の一般的な村の若者よりは、キチュワ語をよく話せます。
もちろん、それは祖母のおかげです。同世代の人に伝えるべきである多くの過去の話を、ヤリーダは知っているのです。
「この村の過去をしっかり学んで、世界に伝えたいんです」とヤリーダは言います。
ヤリーダはWE(フリー・ザ・チルドレン)が主催するBellavista村の女性グループに参加することで、村の伝統を学び、これからヤリーダ切り開いてく未来に伝統を継承するスキルも身に着けています。
WEが2013年にBellavista村で事業を開始した際、ヤリーダの母親は、女性グループ「Sumak Warmi」(キチュワ語で美しき女性たちと言う意味です)の創立メンバーでした。
村に代々受け継がれている編組技法を通じてブレスレッドをつくり、安定的な収入源に育てることを目的として活動をしていたクラブです。
何年か経ち、ヤリーダが最年少メンバーとして加わり、村の伝統工芸を女性たちと共に学んでいきました。
子どもの頃、親子で市場に出かけたときに、ヤリーダは売り物の不織布製の毛布や工芸品に目を奪われていました。
いまでは、ヤリーダ自身が自分でそれを作っているのです。このグループに参加している女性たちは、村では稼ぎ手として重要な役割を担っています。
男性たちが農家としてユッカやプランテンの栽培に従事するなかで、女性たちは農業や家計を支える役割を担っているのです。
とはいっても、ヤリーダは他のメンバーに比べたらとても若いので、家計の心配をする必要はありません。
しかし、グループは収入源確保の場、あるいは学用品購入費を確保する場としての役割以上に、村の文化を復興させる場としての重要性を帯びてきています。
ヤリーダの場合は、グループを通じて「自分の言葉」を学び、年長者の女性から話を聞く機会を得る場となっているのです。
実は、キチュワ語はアマゾンからアンデスに至るまで、広範囲の地域の先住民の人たちによって話されている言語です。
その歴史は何千年も前のインカ帝国の時代までさかのぼり、スペインによるラテンアメリカ地域の植民地支配の時代も生き延びてきました。
今日では、ヤリーダの話す言葉を、100万人以上の人たちが話しています。
ヤリーダと同じように、キチュワ語をルーツとする人たちが大勢いて、歴史を紡いでいる人たちがいるのです。
「キチュワ語を話していると、自分の本当のルーツや文化に入っているような安心感があるのです。」
ヤリーダのその言葉からは、キチュワ語への愛おしさが滲み出ていました。
学校の校舎が見えるガゼボでの月一回のグループの集まりは、この村の人たちにとって、特にヤリーダのような若者にとって、文化的なつながりを持つことの大切さを認識する場となっています。
16世紀に入って始まったスペインによるエクアドルに対する植民地支配以降、キチュワの人たちは差別を受け続けてきました。
独立して以降も、政府による政策は、先住民よりスペイン語話者を優遇するものでした。そのような背景もあり、多くの村びとが仕事とより良い暮らしを求めて村を去り、村は人口流出にも苦しんできました。
ヤリーダは、この村のを存続させていく唯一の方法は、言葉と文化の復興であると力説します。
「言葉と文化を救うことが必要です」ヤリーダはそう語ります。
ヤリーダの多くのクラスメートがスペイン語を話すなか、ヤリーダは彼らにキチュワの伝統的な文化や暮らしを学ぶよう呼びかけています。
ヤリーダは年長者から聞いた話を同世代の人たちに伝え、スペインによる植民地支配が始まる前の時代のこと、村にまだ道路が整備されておらず、都市部で就職するために村の若者が奪われるような事態が起きていなかった時代の様子について話しています。
ヤリーダが何より伝えたいことは、「キチュワ語を話せるようになれば、自分たちのルーツを知ることができる」ということです。
ヤリーダは、キチュワの文化の守り人となり、分断が発生している世代間をつなぐ架け橋となっているのです。
ヤリーダが敷いている架け橋は、それだけに留まりません。
WEのスタディーツアーで、多くの若者がBellavista村で学校建設事業や水の支援事業の活動に従事した際、(ついでなので言っておくと、WEはこれまで、Bellavista村で二つの学校教室の建設の支援、トイレや水洗い場の建設の支援を行ってきました。現在は、学校の食堂の建設に着手しています。)
ヤリーダは若者たちにブレスレッド作りや簡単なキチュワ語を教えています。
ちなみに、その若者たちとのコミュニケーションを通じて、ヤリーダの英語とフランス語もメキメキと上達しています。
ヤリーダにとっては、キチュワ語は「失われた言語」ではありません。
スペイン語による言語的な支配の構造が、多くの村びとが都市部の仕事を求めて村を去る要因となっているのは事実ですが、ヤリーダ自身は、キチュワ語を習得したことや、女性グループでの活動が、ヤリーダがBellavista村の学校に通い続ける原動力となっています。
そんなヤリーダの夢は、アマゾンのガイドになることです。ガイドとして、キチュワの文化を世果中からの訪問者と共有することを夢みています。
ヤリーダが夢みる未来、それは彼女がスペイン語で行っているマシンガントークをキチュワ語でもできるようになること、そしてエクアドルのギラギラした太陽のしたで、村の伝統工芸品であるブレスレットをつけて友達と大はしゃぎする光景が、村の当たり前となることです。
「自分たちの築いてきたものを、しっかり継承していきたいです。文化を守っていかければなりません。」
そう言ってインタビューを終えたヤリーダは、まもなく始まるサッカーの試合に参加するため、グラウンドへと走り去っていきました。実はヤリーダ、チームで一番の「ディフェンダー」なのです!
(原文記事執筆: ジェシー・ミンツ )