亡き母と共に、門出の日を迎えた少女の物語

カナダのWEが行っている、ケニアでのキサルニ女子学校

への支援事業。今回は、キサルニ女子学校のグループ校

である、オレレシュワ女子中学高等学校に通った生徒のス

トーリーをご紹介します。(清田)

 

https://www.we.org/stories/we-charity-empowers-girls-through-education-in-kenya/

 

ペニナー・ムサンカが一枚の紙をにぎりしめて、家に駆け戻

ってきた日。その日から彼女の進む道は変わりました。

 

ペニナーはその手の中に、大きなチャンスをつかんでいまし

た。オレレシュワからの入学許可通知です。WE Charityで設

立されたキサルニ女子中学高等学校のうちの一つであるオ

レレシュワ。そこにはペニナーが長年密かに追い求めていた

未来がありました。

 

ペニナーの家族のようなマサイの牛飼いが、長く続く干ばつ

によって貧しく暮らすのケニア農村部のナイカラ。そこで生まれ

育つなら、家族が娘を早くお嫁にいかせるのは伝統というよりは

使命と言ってもいいかもしれません。「結婚すれば、持参金がも

らえるのです。それが村のみんなが考えていることなのです」と、

ペニナーは説明してくれました。

 

ペニナーの父親も同じように考えていたので、学校へ行き

たいというペニナーに対して、繰り返し、教育は時間の無

駄であり、お前もナイカラの他の女の子たちのように学校

を中退してしまうか、妊娠でもするだろうと言ったのです。

ペニナーがそんな道をたどらないためにも、結婚するべき

と考えていました。

 

しかし、ペニナーは結婚する以上の人生を望んでいました。

彼女の母親も同じ考えでした。

 

ペニナーの母親は、学校に通ったことはなく、最初は女性

が知識を得たとしてもできることは限られていると思ってい

ました。しかし、娘が小学校以降も学校に通い続けたいと

懇願するのに共感して、娘の側に立ち、父親の説得に力

を尽くしたのです。

 

オレレシュワへの入学にむけた戦いでした。父親が折れる

まで説得しつづけました。「行きたければ行けばいい」父親

は言いました。「だが、そのことに関して、俺は一切手を貸

す気はない。お前たちの力で勝手に行けばいいさ」

 

「お母さんだけが私のことを分かってくれていました。夢があ

って、成し遂げたいことがあると話したのです」と、ペニナー

は言いました。ジャーナリストになって、変化する世界を、ナ

イカラの人たちに伝えたいと強く思っていました。

 

 

 

 

 

 

学校の初日、ペニナーの母は娘を手伝い、荷物いっぱいの

トランクを引きずって、寄宿舎まで運んでくれました。翌月か

らは、一人でナイカラからペニナーを訪ねてきました。

 

「お母さんはいつも、与えられたチャンスを最大限に生かしな

さいと言ってくれました。私がすべての夢を実現できるように

と。」ペニナーは母親が毎月来てくれることを楽しみにしてい

ました。しかし、父親は一度も来ませんでしたし、何の言葉も

ありませんでした。

 

オレレシュワ女子中学高等学校の監督者であるCarolyn

Mogereは、ペニナーと同じような状況を何度も見てきてい

ました。「同じように、勉強に励みたい女の子たちはたくさ

んいますが、親御さんが伝統にこだわって考えを変えない

のです。考え方を変えられるかどうかは、私たち次第なの

です」と、Carolynは言います。

 

WE Charityで設立されたキサルニ女子学校校グループは、

ケニアのナロク郡地域において無償で平等な中等教育を提

供しています。2015年には、国立中学高等学校試験で全国

112校のうちでキサルニ女子学校の生徒は一番になりました。

Carolynは言います。今まで見てきたなかで、どの親も、子ども

たちが教育を受けることは、その子だけではなく家族、そして地

域にも恩恵をもたらすと気づくようになりました、と。

 

オレレシュワで最終学年のある日、ペニナーは訪問者がい

ると突然告げられました。先生について職員室へ向かって

いるとき、親戚か家族の知り合いが来ているのだろうと思っ

ていました。ところが、いつも母親が訪問時に座っていた椅

子でペニナーを待っていたのは、なんと父親でした。

 

ペニナーは笑って、父親を抱きしめました。それから腕を引っ

張って、学校を案内し始めました。日の当たる教室から、コン

ピューター室や食堂まで。食堂の壁には将来、医者や教師に

なった生徒たちの姿が壁に描かれていました。

 

「お父さんは、とても素晴らしい学校だと言ってくれました。

今まで見たどんなものよりも素晴らしいと。」ペニナーは言

いました。「お父さんは私が高校を卒業するだろうというこ

とを信じはじめていましたし、私を励ましてくれました。私が

学校に行くことで、お父さんも変わったのです。」

 

2016年12月31日、夜明け前に生徒たちは起きました。オ

レレシュワの26人の生徒と、姉妹校であるミリマニの26人

の生徒で寮内はざわざわしていました。全員が4年間、今

日という日を待ちこがれていたのです。

 

「みんなが『早く早く』と急かしていました。ガウンをください、

と先生にせがんでいました」ペニナーは笑って言いました。

 

生徒たちは両親、先生、地域の人たちの前で大好きな校

舎を進んでいきました。北米からも支援者たちがかけつけ

ていました。

 

「参加してくださっていたみなさんが、私たちの成功を願って

くださっていました。」ペニナーは言います。

 

卒業生にむけて、拍手と花束が送られました。一人ずつ、

前に出て卒業証書を受け取りました。

 

 

 

 

 

 

ついに、ペニナーの番が来ました。少しためらって、参列者

の中に父親の姿を探しました。父親を見つけたとき、2人は

お互いに幸せと誇りに満ちた顔を見合わせました。しかし、

そこには悲しみもありました。父親の隣が、空席だったからです。

 

ペニナーの母親は卒業式の数ヶ月前に亡くなっていまし

た。

 

「お母さんだけが、本当に私が夢を実現できると信じてくれ

ていました。それに、私が卒業した日、その日こそお母さん

の夢、長女を学校に行かせるという夢が叶った日でもあっ

たのです。」とペニナーは言います。

 

人ごみの中に父親を探し、キャップとガウンを身につけ、オ

レレシュワ女子中等高等学校の最初の卒業生として立って

いるペニナーは微笑んでいました。そして、自分が教育を受

けたことで、4人の妹たちもまた学校に通うことになるだろうと

自信をもっていました。

 

父親がペニナーの元にかけよって、抱きしめたとき、父親の言葉に

母親の存在を感じました。

 

「進み続けるんだ」ペニナーの夢に対して、父親がアドバイ

スをしました。「一生懸命やって、絶対に諦めるんじゃない。」

 

(原文記事執筆: Deepa Shankaran  翻訳:翻訳チーム  北澤麻紀 文責:清田健介)