ブレスレッドで輝く未来

ブレスレッドは、人を輝かせることができますが、ブレスレッドによって輝きを放てるのは、ブレスレッドを身に着けている人だけではありません。

今回ご紹介するケニアのマサイの女性は、ブレスレッドをつくることで自らの人生と未来を輝かせています。(清田)

https://www.we.org/stories/me-to-we-artisans-profile-mama-toti/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幾重にも重なったカラフルなマサイのビーズアクセサリーを身に纏い Lorna Saoei Puleiは小さなジェスチャーを混じえて答えます。
私たちはケニアのカジアド村の彼女の台所に座って、幼い花嫁から一流の起業家に一変した彼女のストーリーを記録しました。きっかけは彼女の名が付いたME to WE ラフィキブレスレットです。

彼女を知っている人は、誰もが彼女のことをママ・トチ(トチの母)と呼びます。

トチとは彼女の長女につけられたニックネームでした。
44歳のママ・トチは飼っている山羊が隣の土地に迷い込んでいないか確認するため窓の外を覗きながら絶えず動いています。 彼女の家の横を通り過ぎる近所の人たちに挨拶を返します。

建築中の家の敷地には木材が積み重ねられ、その上に釘やハンマーの入ったバケツが置いてあります。
4人の子どものシングルマザーであるママ・トチは建築中のこの3ベッドルームの家を自分が稼いだお金で建てました。

彼女はこの家が自分のものになると想像していませんでした。そして彼女のこれまでの道のりも予想できませんでした。
8歳の時、ママ・トチは一度も会ったことのない年配の男性と結婚しました。そして10年間、彼女は彼から精神的および身体的虐待を受けました。
彼女の両親がやっとのことで彼女をカジアド村の家に連れ戻した頃には、彼女は教育も職業経験もない10代の母親となっていました。
両親は彼女のために家族が住む敷地内に伝統的な泥のマニャータの家を建てましたが、幼い兄弟姉妹がいたので、それ以上の援助はできませんでした。
18歳の時、ママ・トチは家族を養うために仕事を始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほとんどのマサイと同様、ママ・トチの両親は家畜の乳と肉に頼る牧畜家でした。

しかし、頻繁に起こる干ばつのせいで牧草地が減ってしまったため、この伝統的な生活は絶えず危険にさらされていました。
父親が病気で亡くなったとき、ママ・トチは自分の子どもたちだけでなく、母親と兄弟姉妹を養うために家に残りました。何も頼れることがなかった彼女は子どもの頃に学んだスキルに目をつけました。 ビーズワークでした。

 

マサイの女性にとって、ビーズワークを学ぶことは通過的儀礼です。
若い女の子として、ママ・トチは母親が結婚式や家族のお祝いのためのジュエリーを作るのを手伝いました。

おとなの女性として、彼女の手工芸との再会は厳しいものでした。
彼女は、彼女のビーズのジュエリーを観光客に売ってもらうために最寄りの街の行商人のところまで毎日2時間通い始めました。
しかし、市場は同様の製品であふれ、ママ・トチは収入以上に運搬にお金を費やしてしまいました。彼女の才能はどんどん伸びていましたが、赤字を解消するために手の込んだビーズ細工品を売らざるを得ませんでした。

 

2009年、フリー・ザチルドレンのME to WE Artisansはこのような女性たちを支援するために設立されました。成功するために適切な市場へのルートを必要とする熟練した女性職人たちへの支援です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性たちは伝統的なデザインの見事なジュエリーやアクセサリーを北米の観光客が好むよう手作りしました。

そして、ME to WEは1点ごとに代金を支払い、職人たちに持続可能な収入と国際的なマーケットを提供しました。これが基盤となりました。
多くの女性たちは懐疑的で、部外者との約束をなかなか信用しませんでした。

しかしママ・トチは「私にとっては養う子どもたちがいたのでチャンスでした。」と疑う余地はありませんでした。
彼女はこの契約を最初に受け入れた女性の一人でした、そして、彼女の勇気は後に続く女性たちを奮い立たせました。

 

ママ・トチは最初からME to WEとの仕事が自分の手工芸品を他の行商人に売り込もうとしているようなものではないことが分かっていました。
その理由の一つには、町への通勤はがなかったからということもありました。
ママ・トチと仲間たちは、ME to WEのコーディネーターの送迎により家から遠く離れた場所に集まり、おなじみの木の木陰で一緒に仕事をしました。
「おしゃべりをしたり冗談を言い合ったり、ビーズを付けながら歌ったりしていると時間はあっという間に過ぎてしまいます。」と彼女は言います。

 

最初に作るようになったのは「ラフィキ」でした。スワヒリ語で「友人」という意味で、カラフルな一本鎖編みのブレスレットのことです。
それは、ME to WE Artisansを通して手工芸品を提供するケニアの女性たちと、彼女たちを支援する北米の女性たちとの間で生まれた世界的なつながりの象徴となりました。

 

ママ・トチは早くから著しい業績をあげていました。
ほとんどの女性たちは1日平均30個のブレスレットを完成させていましたが、彼女は多い時は70個も完成させました。
彼女は自分のヤギを持つという長年の夢をかなえるために働いていました。
安定した供給があれば、子どもたちのために牛乳を買う必要はないでしょう。

ヤギから乳を搾れば良いのですから。そしてこのようにお金をそのまま投資に回せます。
彼女が予想できなかったことは1つだけでした。彼女の職人としてのスキルとスピードによって最初の給料は、1頭ではなく2頭のヤギを買えるほどの額になりました!

 

ママ・トチの成功のニュースは、すぐにカジアド中に広まりました
村びとたちは、彼女の敷地内の増え続けるヤギや近代的な鉄板の屋根の家など、彼女の成功を直接目にするためにやって来ました。

そんな彼女を見て、多くの女性たちが自身の将来に期待を持つようになりました。こうしてME to WE Artisans は発展し始めました。ラフィキブレスレットは主力製品であり続けましたが、新しく、より複雑なデザインに発展しました。
ママ・トチは自分自身で新しいパターンを学び、他の職人たちのトレーナーになりました。

そして他の仲間たちに作り方の秘訣を教えました。

 

ママ・トチは現在、ヤギが大体35頭いるといいます。
彼女は子どもたちの教育費を支払うために2、3頭売りました。
「自分が直面した困難を子どもたちに味あわせたくありません。私は彼らが学校で一生懸命学ぶことを望んでいます。」と彼女は言います。

 

ママ・トチの長女Leah Matipe(トチ!というニックネーム)は、2017年、WE Charity(フリー・ザ・チルドレン)によって建設されたマサイマラのキサルニ女子学校を卒業しました。
それ以来、彼女はコンピュータ研究のコースの講習を受けており、現在は入学志願した大学からの返事を待っています。
彼女の母親は、彼女たち兄弟姉妹に、一生懸命働くことの大切さを教えていたと言います。 「私は母が毎日、私たちの学校や食べ物や衣服に必要なお金のために働くのを見たのでしょう。私は1人ですべてをできるとは信じられませんでした。」
ママ・トチは、子どもたちがいたから頑張ることができたと言います。彼女の2番目の息子は現在10年生、3番目の息子は7年生、一番年少の娘は4年生です。

 

ME to WEは彼女の功績を称え、ブレスレットに名前をつけることでママ・トチのような女性の強さを世に知らせることにしました。
「私の名前をブレスレットに付けると聞いて泣いてしまいました。」と彼女は言います。

 

ママ・トチ ラフィキブレスレットの販売による収益は、WE Charityのパートナーコミュニティ全体の女性の夢のための資金となります。
ブレスレットは作った職人を支えるだけでなく、女性たちのグループに彼女たち自身のヤギの群れを育て、彼女たちが家族のために欲しい未来を作り出すために資金を供給します。
デザインはママ・トチや仲間の職人たちが最初に始めたものよりも複雑ですが、同じ糸で結ばれています。

 

(原文記事執筆 :セディ・コスゲイ  翻訳:翻訳チームメンバー 文責:清田健介)