フィリピン:支援先の訪問記

フィリピンに滞在中のFTCJ代表理事の中島早苗より、
現地から近況報告が届きましたのでご紹介します。

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みなさん、こんにちは!フィリピンに来て9日目となりました。
日本より気温は低く比較的涼しいフィリピンですが、
雨季のため非常に湿気が高く、突然の雨に襲われることも多く、
折りたたみ傘は手放せません。

今回の訪問は、FTCJの顧問をして下さっている文京学院大学の
堀内光子教授の国際協力概論の授業をとっている学生さん向け
フィールドトリップへのコーディネーターとして同行しているものです。
最初の5日間訪問したプレダ基金での様子を、ここで少しお伝えします。

プレダ基金(以後プレダ)は、FTCJが1999年からパートナーを組んで支援をしている
現地NGOです。プレダでは、性的虐待を受けたり性産業で働く女の子や、
刑務所に収容されたストリートチルドレンなどの少年を救出し、彼らが社会に復帰できるよう
自立に向け教育支援や職業訓練などの支援をしています。
現在は男女合わせて100人以上もの子どもが保護され、プレダが運営するセンターで
生活しています。また、人々が貧困から抜け出せるよう生計維持の支援として、
フェアトレードを展開しています。FTCJでも、プレダから無添加ドライマンゴーや
バッグなどの雑貨を輸入し販売しています。

プレダで支援を受けている子どもたちに共通している問題は色々ありますが、
その中でも大きな課題は、「教育へアクセスできていない」ということです。
両親に安定した収入がないため、貧困に陥っている家庭に育った子どもたちがほとんどです。
そのため、学校で勉強するのに必要な文房具や交通費に使うお金がない、
といった理由で学校に通うことができていません。

教育を受けていないと、文字の読み書きや計算ができないことはもちろん、
考える力、判断する力を培うことができません。
そのため、だまされたり搾取されやすくなってしまったり、犯罪に巻き込まれたりする
確率が高くなります。

フィリピン政府がILOフィリピンの協力を得て2010年に発表した統計によると、
フィリピンの児童労働者は約303万人いる、ということです。これは、フィリピンの
5歳~17歳の子どものうち10人にひとりが、児童労働者ということになります。
これは、過去の発表の240万人から、 増加傾向にあることになってしまいますが、
一つの理由は、前回の統計は、ある特定の地域のみを調査し、そのサンプル統計を
全国の人口に直して発表したものであったそうです。今回の統計は、全国的に調査し、
統計として出したものだそうで、より、正確な数字になったようです。

さて、今回プレダを訪問した時に、プレダが支援する印象的な子どものケースが
いくつかありました。一つは、空腹を紛らわすために盗みをはたらき、
刑務所に入れられたストリートチルドレンの少年が今から5年ほど前にプレダによって
救出され、プレダのセンターで生活するようになったのですが、
プレダで教育やセラピーを受けた結果、社会復帰できるようになり、
今はプレダでガードマンとして働くスタッフへと成長していたことです。

もう一つは、FTCJの大学生メンバーの坂本遵くん(通称じゅんじ)が、
今年の4月からプレダでボランティアをしているので、
彼から子どもたちの様子を聞くことができました。
じゅんじは、刑務所から救出された少年たちにパソコンや音楽を教える
ボランティアをしているそうです。ボランティアを通じて接している
子どもの1人は、アルコール中毒の父親による暴力がひどく、
その暴力から逃げるために、路上生活(ストリートチルドレン)をするようになり、
何らかの問題を起こし、刑務所に入れられたそうです。
その少年は現在プレダのセンターでのパソコンを学ぶ授業が大好きで、
じゅんじのもとで一生懸命勉強しているということです。

 

じゅんじくんと子どもたち

また、プレダで掃除婦として働いている女性と話す機会があり、
彼女のバックグラウンドがあまりに壮絶で衝撃を受けました。
FTCJが1999年からプレダとパートナーを組んで以来、
私は毎年フィリピンを訪問しているので、彼女にはその度に会っていたのに、
彼女と個人的なことを話すのは今回が初めてでした。

彼女の父親は当時米軍で働く兵士としてフィリピンに一時的に駐在していたようですが、
すぐに米軍に帰国したため、彼女は、生まれてから一度も父親に会ったことがなく、
母親も彼女を生むとすぐにどこかに行ってしまったので、祖母に育てられたそうです。
しかし、10歳の時に祖母が亡くなると、母親の居場所もわからず、
身寄りがなかったために一人で路上で生活し始めました。

路上で生きるために、子どもながらにゴミ拾いをして必死に生計をたてていたといいます。
だから、小学校も中退せざるを得ず、3年生までしか通っていません。
そして、そのような路上での生活を7年間送りました。
7年間も女の子が一人で路上生活・・・。
どれほどの過酷さがあったのか、想像を超えるものがあっただろうと思いました。

17歳の時にプレダを創設したカレン神父と出会い、
保護されてプレダの子どもの家(センター)で生活するようになり、
日常生活のルールや教育を受け、その後、プレダの施設のクリーニングスタッフとして
18歳の時に雇われるようになったといいます。

ただ、彼女は、路上での生活が長すぎて、自由がありすぎたせいで、
プレダでの集団生活やルールがある仕事をこなすということは、
本当にきつかったと話していました。

「ストリートチルドレンは、自分がボスなの。18歳の時、プレダでの仕事をもらえて
嬉しかったけど、ボス(上司)ができて、色々と指導されたり注意されたり、
怒られたり、本当にうんざりして、環境になじめなくて辛かった。
19歳の時に、もう、仕事を辞めようって思って、カレン神父(プレダの代表)に言ったの。
そしたら、カレン神父は、『仕事を辞めてどうやって生きていくんだ?
また、路上に戻るのか?また、不規則な路上生活を始めるのか?
その先に何があるのか考えたのか?』と、ものすごい剣幕で私に怒りながら問いかけたの。

その時、初めて自分を心配して、怒ってくれる人がいるっていう想いとか、
いろいろな感情が湧きあがり、号泣したのを覚えているわ。」と
笑みを浮かべ歩きたばこをしながら話してくれました。

「人生は、不公平。そんなことは子どもの時から知ってたけど、
でも、その不公平な環境でもどう生きていくか、でしょ?」

彼女の言葉はとても重く、私の心に響きました。