【コラム】フィリピンの議会に提出されている9歳の子どもに死刑が課せられてしまうかもしれない法案への懸念
フリー・ザ・チルドレン・ジャパンのパートナー団体、フィリピンで活動を行うプレダ基金の運営を行っている、シェイ・カレン神父が執筆したコラムをご紹介します。
数週間前から、フィリピンや世界で、子どもの権利・人間の尊厳を守る活動をしている人たちが、フィリピン議会下院の新議長が出した2つの法案を提出したことを知り、それに対する懸念を表明し始めています。その内容は、刑事責任年齢を9歳に引き下げ、子どもたちもおとなと同等の刑法が適用されること、もうひとつは、絞首刑による死刑の復活です。
これは、子ども達にとって厳格で抑圧的なものであり、デトルテ政権とフィリピン国民にふさわしくないものです。子ども達に罪はなく、彼らの多くが、読み書きができないまま、社会や政府から見捨てられ、無視されています。この法案の支持者達は、15歳未満の子ども達は、起訴されないために、犯罪者に利用されて犯罪に関わっていると言います。これは現実を知らない戯言です。
もし、子ども達が利用されているということが事実なら(最も、その主張を裏付ける客観的な証拠はありませんが)、子どもたちは犯罪者にコントロールされ、利用され、食い物にされているのです。自由意志で行動できず、悪事に手を染めさせているのです。このような実情を踏まえもせず、子ども達に刑罰を科すことに何の意味があるのでしょうか?子どもたちが犯罪行為に走ってしまうという現状は、子どもたちに関心を寄せてこなかった当局と、当局同様に関心を寄せてこなかった社会が、その結果として、子どもたちに負わせてしまった代償なのです。
社会福祉推進省(DSWD)は、児童の裁判・福祉委員会を通じて、子どもを犯罪者扱いする動きに強く反対しています。
市民社会もまた、断固として反対しています。
これまで、カトリック教会は、死刑制に強い反対を表明しています。私たちは、フィリピンのカトリック教会司教会議からの声明を待っています。この声明では、子ども達の現状の刑事責任年齢を15歳に維持することへの支持を表明する予定です。おとなの犯罪で子どもを責めるのは大きな間違いです。
この法案は、貧しき者に対して差別的であり、児童福祉の精神にも反しています。また、国際的な慣行にも違反しています。もし、おとなのギャング集団が、これからも犯罪に子ども達を利用するなら、児童虐待と搾取の罪に問われます。彼らは、児童虐待と薬物所持で逮捕され、裁かれるべきです。支援を受けている子ども達は犯罪に走りません。これは、容易に立証できます。
勇敢な警察が逮捕すべきは、麻薬王たちであり、子ども達ではありません。法執行者 の中には、もし、子ども達が、これまでのように麻薬や違法ドラッグの単なる運び屋として利用されても、新しい法律の下では、9歳の子どもが、死刑に処せられるかもしれないと主張する者もいます。 それは、さすがに無さそうですが、この法案を文字通り解釈すれば、子どもたちやテイーンエイジャーたちを、死刑に課すことも可能です。これは、子ども達を駆除すべき害虫と見ているような態度です。
この20年来、ダバオ市での暗殺団を生み出したのは、こういう嘆かわしい態度です。自警団員や暗殺者を使うというやり方は他の街にも広がり、その結果、多くの若者や未成年者がひそかに殺害されました。(“だれもがいつ死ぬか分からない”、“頭を狙う銃撃;Tagumでの暗殺団”という、ヒューマン・ライツ・ウォッチのレポートを見て下さい。)
1999年に、プレダ基金のソーシャルワーカー達と私は、暗殺団によるストリートチルドレン殺害に反対の声を上げました。
私は、新聞にそのことについての記事を書き、当時のダバオ市長に、「責任を持って殺人を止めるよう呼びかける手紙作を送ろう」というキャンペーンを進めました。そのため、私は、犯罪容疑者の烙印を押され、また、名誉毀損の罪に問われ、身を守られねばなりませんでした。
ダバオ市には、私を支援してくれる弁護士は誰もいませんでした。2年間、法廷闘争を続けた末、最後に、私は、ダバオの検察官に課された罪の再審議を司法省に訴えました。対応のないまま、私は、ダバオ市の法廷に移管されることになりました。私は、空路でダバオに入りましたが、私の頭に一発お見舞いしようと空港で待ち構えているかもしれない悪名高い暗殺団の恐怖や不安を、多少感じていました。
私が空港に到着し、出口を歩み出ると、賑やかに喝采してくれる50人ほどのストリートチルドレングループの出迎えを受けました。彼らはプラスチックのラッパを威勢良く吹き鳴らし、ブリキ缶を太鼓のように打ち鳴らしました。そして、彼らは、儀仗兵か警護兵のように私を取り囲んだのです。
派手な音やファンファーレに伴われて、私は、安全に駐車場を横切り、待機しているジープのところまで行けました。
それは、とても感動的な場面でした。罪状認否の当日、私は、誰も誹謗・中傷してはおらず、ただ、暗殺団から子ども達を守るよう政府に訴えただけだと、メディアに説明しました。その後の公式見解では、暗殺団は存在しないというものでした。この主張は、受け入れられるものではありませんでした。
申し立てられた1000人に上る死者についての当局の説明は、ギャングの内部抗争で殺し合ったものというだけでした。私は、保釈金を支払わないこと、刑務所の外から、子ども達の生きる権利と人々の言論の自由のために戦うつもりだと、メディアに話しました。
当時の市長(その時のダバオ市長は、長年タバオ市長の座にいたロドリゴ・デトルテ現大統領ではありませんでした)は、私を告発しようとする法廷劇の最後に、告訴の取り下げを選びました。半年後、司法省からの裁定は、私が無実であり、対応すべき事件性はなく、公式な告訴は取り下げられるというものでした。
現在、暗殺団は再び姿を現していますが、警察には、射殺命令が下されています。その結果、暗殺団のメンバーの一部はこの世から葬られています。私たちはみな、恐れることなく発言し、すべての人の尊厳と人権を尊重する社会を求めなければなりません。
(翻訳:翻訳チーム 山下正隆 文責:清田健介)