感染症の大流行を防ぐには、SDGsの達成が不可欠だとクレイグが考える理由
クレイグのコラムの紹介です。
中国の武漢の市場で初めてヒトに感染した新型コロナウイルス(COVID-19 )。
それ以降、感染は75カ国以上に広がり、3,000人以上もの人が亡くなっています。
いずれの数値も、引き続き上昇するとみられています。
また、株式市場からは3兆米ドルの時価総額が失われ、2008年以降では最大の落ち込み幅となりました。
市場で買われた食材をきっかけに、人命が失われ、世界的な景気後退に発展するという事態が、わずか8週間で起こったのです。
「こんな問題でお金のことを話すなんていやらしい!」と思われるかもしれません。
でも、人が亡くなる事態も、経済の崩壊も、こういう感染症の流行が起こると必ず起きる人種差別的な反応も、5兆ドルで防ぐことができたのかもしれないのです。
この金額は、国連の「持続可能な開発目標」(以下SDGs)を実現するため必要と試算されている年間の予算額です。
次のパンデミックを食い止めるためには、まだやれることがたくさんあります。決して遅くはありません。
SDGsは、貧困を無くし、食糧の安定供給を確保し、保健を促進するために、17の目標を掲げています。
実情としては、目標達成のために相応な予算の拠出が行われているとは全くいえません。
いまは、感染症もグローバル化している時代です。
現代に於けるパンデミック(大流行)の問題の特徴は、病そのものより、病によって、世界の搾取の構造がより鮮明に可視化されているということです。
病原菌は、野生動物から発生しヒトに感染しますが、そういう事態が発生する国の大半は、感染症を予防するための体制が整っておらず、その結果野性動物とヒトが過度に接触する事態が起きていても、野放しにされます。
そして感染が広がる訳ですが、こういう事態が発生する国は人口密度が高く医療体制が貧弱です。
そのような状況が、感染の拡大を初期段階に於いて助長しているのです。このような理由から、世界保健機関や実業家のビル・ゲイツは、裕福な国々に対して、低中所得国への医療支援の拡充を訴えています。
近年、国際社会は海外援助の縮小に舵を切っていました。カナダの政治家たちも例外ではありません。
私は、人道的及び政治的観点から、この方向性に異を唱えてきました。
しかしながら、世間の人たちは、人道的なことよりも、お金とか経済的なことに関心があるようです。ですので、経済的な観点から私も議論してみようかと思います。
世界経済はいま危機的な状況です。
株価が私たちの生活にすぐに影響を与えることはありませんが、市場で起こったことは銀行や企業に影響を与えます。
年金の貯蓄や中小企業への融資に影響を与えます。
一方、学校は22か国で休校となり、3億人の生徒に影響を与えています。旅行の予定は立たず、イベントは中止が相次ぎ、サプライチェーンも稼働を停止しています。
「行政の予算というのは、まず自分たちの身の回りの問題を解決するために使われるべきだ」というのが、海外援助の削減を正当化するために使われたていた理屈でした。
新型コロナウイルスは、このような理屈の致命的な誤算を明らかにしました。
病原菌は国家間の国境など気にはしません。
何が言いたいのかというと、世界の貧困は私たちにも影響をもたらす問題だということです。このような状況を考えると、人道的に取るべき選択肢は、経済的観点から見ても理にかなっており、相反することはあり得ないといえるでしょう。
新型コロナウイルスの前は、エボラや出血熱ジカ熱、新型インフルエンザやMERS、そしてSARSがありました。
この先も、世界の人々の健康を脅かす事態が必ず発生するでしょう。
低所国で発生し、世界に経済危機を招きかねない事態が、必ず発生します。
しかし、最悪の事態を防げるかどうかは私たち次第です。
SDGsは医療体制の確立の支援を謳っています。
2014年のエボラ出血熱の流行などを踏まえ、感染症の監視強化を謳っていることも特徴です。
新型コロナウイルスの流行を防ぐために、人の命を救うために、私たちは充分な策を講じてきたのでしょうか?
予算は充分だったでしょうか?
5兆ドルというのは、膨大な予算であることは間違いありません。
しかし、予算を渋ることで健康が脅かされ、人種差別が蔓延し、またさらに次の感染症が発生するとしたら、そちらの方が問題です。
次の感染症の流行を防ぐためにやるべきこと、それは充分に感染症予防にお金をかけることです。株価の暴落を防ぐためではなく、人々の健康を守るためにお金を使うべきです。
私たちひとりひとりは、とても弱くて無力な存在です。
だからこそ、お互いに支え合うことでしか、前には進めないのです。