フィリピンに行ってきました!

こんにちは、FTCJ事務局の中島早苗です。おとといフィリピンから帰国しました。バナナ

今回は、FTCJの顧問をして下さっている

文京学院大学の堀内光子教授のゼミの

学生さん対象フィールドツアーのアシスタント

として、2週間、フィリピンを訪問しました。

フィリピンは6月~10月までは雨季なので、雨

湿気が多く雨も突然激しく降るなどしましたが、

最後の1週間は、晴れ間も多く過ごしやすかったです。

(去年は台風の影響で、ひざ上まで水があふれた

スラム地域を訪れ、移動をするにも大変でした。)

フィリピンでは、FTCJが支援する

性的虐待から救出された少女や、

刑務所や路上から救出された少年、

路上で働いている子どもたちに会ってきました。

子ども達は支援を受け元気にしていました。うへ

その一方で、

過酷な環境で働く子ども達にも多く会いました。困

例えば、

漁港で夜10時~明け方4時まで働く8歳の少年や、ごみ山でごみ拾いをしている7歳の少女、激しく車が行き交う路上で、花やタオルを売る子ども、

物乞いをする子どもたちも多く見かけました。

野菜を売る少年の背中は小さかった。

彼らは、みな、年の割には非常に背が低く、

やせていていました。

私は、FTCJがフィリピンの子ども支援を始めた1999年から

ほぼ毎年、フィリピンを訪れています。

11年の支援を通し、虐待や路上から助け出され、

学校に通い、ソーシャルワーカーになった子どもや

看護師になった子ども、先生の資格を得た子どもなど

その成長をみることができ、とても励まされます。おぉ!きらきら

しかし、過酷な労働をしている子どもに出会うたびに、

「フィリピンという国は、いつになったら、

全ての子どもが、まともに学校に通える日がくるのだろう・・・。」という思いがよぎります。

今回のフィリピン訪問で、ILOオフィスを訪問したときに、

スタッフがおっしゃったのは、

フィリピンの100人の子どものうち、

小学校を終了できるのは、65人

その65人のうち、

高等教育(High School)に入学するのは、58人

高等教育を終了できるのは、42人

という数字でした。

国連に加盟する189の世界の国々が2000年に掲げた

「ミレニアム開発目標(MDGs)」では、2015年までに

すべての子どもが小学校に通えるようにする!という

目標があります。

フィリピンも日本もこの約束の実現を誓いました。

しかし、現状を見る限り、あと残すところ5年で

この目標がフィリピンで達成されるのは、難しい状況です。

今年の5月に誕生した、新しい大統領「ノイノイ・アキノ」。

彼は、貧困問題にも取組む、と公約を掲げていますので、

ぜひ、実現できるようがんばってほしいものです。鼻息

フィリピンは、200もの財閥(家族で構成)が、

フィリピンのすべての富の70%を有していると言われています。

ということは、200家族以外の残りの人々で、

30%を分け合っていることになります。

以前、フィリピンの知り合いから「フィリピンのリッチで有名な財閥の○○○ファミリーは、

マニラのひどい交通渋滞に巻き込まれるのが嫌で、

毎日家から会社のビルまで

ヘリコプターで移動しているんだよ。消防ヘリコプター

と聞き、

「アホか!なんちゅう金の使い方!」べ(怒ムカツク

と、憤りをも覚えましたが、

1日中ずっと働いても、400円稼ぐのがやっと、という

フィリピンの貧しい人々にとっては、日本人の多くが、

毎月携帯電話に1万円もの使用料を払っていることや、D902is

かばんや財布や化粧品にバッグ口紅

何万と費やしていることを知れば、

同じように、「アホか!」べ(怒ムカツク

と思うんだろうなぁ。

私の自宅の地域では、子ども野球チームが盛んで、

毎週土曜日になると、学校の校庭で小学生が、がんばるぞ

厳しい監督やコーチらしいお父さんに

叱咤激励されながら、野球に励んでいます。野球

それを温かく見守るお父さんやお母さんやおばあちゃん、おじいちゃんも見受けられます。まるちゃんのおばあちゃんお爺さんにこにこ。ニコニコ。

そんな光景を見ると、いつも私は温かい気持ちになります。「いいなー、日本。」と。きらきら

と、同時に、フィリピンやインドやモンゴルの、

過酷な環境にいる子どもたちのことも思い出し、

彼らの地域も、いつかこんな風に家族で子どものスポーツを

応援する環境になればいいなぁ、としみじみ思うのでした。