クレイグ&マークコラム紹介:ファッションデザイナーがブルカの固定観念をこわす

フランスで、9月14日、イスラム教徒の女性が顔や体を覆い隠す「ブルカ」などの衣装を公共の場で着用することを禁止する法案が成立しました。

(しかし、個人の自由を尊重する立場から違憲の疑いが指摘されており、施行は2011年春と定められ、まだ正式には執行されていません。)

これに関連するコラムをFTC創設者のクレイグとマークが

7月19日に投稿しているので、紹介します。

http://www.thestar.com/news/globalvoices/article/835759–global-voices-fashion-designers-bust-burqa-stereotypes

ファッションデザイナーがブルカの固定観念をこわす 2010年7月19日発信

翻訳:FTCJ大学生メンバー 長浜侑希さん

フランスがブルカを禁止する意向を示すとともに、

今パリのデザイナーたちは体を覆わないファッションを中東で披露しています。

リヤド(サウジアラビアの首都)にあるサクス・フィフス・アヴェニューは

石油の豊富なガルフ州にある目をひくデパートです。そこではパリの

高級服飾店のラベルの付けられたアバーヤは売れていませんが、

床に着くほどの長さのあるバスローブのようなこの衣装を数百万の

女性イスラム教徒が着用しています。

この衣装は慎み深さを表しますが、

しかし豪華になり得ないというわけではありません。

ニナ・リッチやジャン・クロード・ジトロアと同様にディオールの

ジョン・ガリアーノによるフランスのレーベルが、スワロフスキーや

精巧な刺繍で飾られたアバーヤを手掛けています。

既製品の価格は2000ドルから2500ドルで、一方特別に仕立てられた

ベールのついたアバーヤは11500ドルで売られることもあります。

フランスのファッションがブルカの議論へと足を踏み入れていることは

驚くべきことではありません。イヴ・サン・ローランが女性用のスーツの

先駆けである一方、ココ・シャネルは女性の服装をコルセットを締める

ことから遠ざけるのに貢献しました。

今日、フランスのニコラ・サルコジ大統領がブルカとニカブにおける

闘争を行っているのと同時に、ジバンシィは政府の態度に対し抵抗

するため顔を覆ったモデルをランウェイ(ステージ)に送り出しています。

ファッション産業はしばしば政治的というよりも取るに足らないもの

としてみなされています。しかし、ファッション産業は重要な点を強調

させているのです。今や国境がドレスの縫い目ほどしっかりしていない

グローバル化した世界の中では、制度化された人種差別が寛容な

世界に向けて私たちが重ねてきた進歩を減退させてしまいます。

“ブルカの禁止”がヨーロッパ中で注目されている一方で、フランスは

衣服について非難することにおいておそらく最も声を発している国でしょう。

先週フランス議会は、顔を覆うベールを女性が通りや公共の公園、

バスや店の中で着用し捕まった場合に190米ドルを課す法案を

336対1で可決しました。また、妻や娘にブルカやニカブを着用する

よう強要した男性には38000米ドルの罰金と懲役1年の刑が課されます。

この法案は、乱用された人口の小区分の人たちをさらに孤立化させ、

女性のエンパワーメントに対して直観と反しています。さらに残念なことに、

このことが女性イスラム教徒は服従的であるという固定観念を不滅のものにし、

私たちの社会の中に存在する人種差別主義やイスラム教徒への

嫌悪を証明しているのです。

イランやサウジアラビアなどの国はベールで顔を覆うことを強制し

国民を統制するための道徳警察を設置していますが、このような実践は

イスラム教には当てはまりません。これは正しく非難されるべきなのです。

しかし、世界中の何百万というイスラム教徒が彼らの宗教と西洋文化とを

見事に融合させていることは認められなければなりません。

ヨーロッパや北アメリカの女性イスラム教徒のための何百という

オンラインストアのうちの一つを見ると、イスラム教と西洋文化が

どれほど密接に関わり合っているのかを垣間見ることができます。

『もしあなたがヒジャブ(顔を覆うスカーフ)によく合う長いトップスを

探しているのなら、GAPに行って男の子用のシャツを手に取ってください。』

とヒジャブ・トレンド(Hijab Trendz)という流行のファッションや美容、

エンターテイメントについての女性イスラム教徒のためのブログに

最近投稿されていました。ちなみにこのブログではこのようなシャツ

のことをヒジャビリシャス(hijabilicious)と呼んでいます。

また、『トップの長さや緩さの点でこのようなシャツは完璧なのです。』

とも述べています。多くの人は文化間の類似点を見つめるよりも

圧政的な政府によって永続させられている否定的な価値観に

注目しがちです。寛容な世界に向けて働きかけるのではなくただ

誤解を生みだすだけのものである“禁止”というものを通して、

このことは固定観念の慣例化を導いてしまうのです。

西洋諸国がブルカについて議論している一方で、中東における

私たちのイメージは決して好意的ではありません。フェミニストメディア

批評家であるフェイテム・ファクライアが指摘したように、イスラム

世界の西洋に対する認識を政府が変えるため動いているのにも

関わらず、私たちはイスラム世界に対する私たち自身の認識を

改善するためにほとんど何もしていません。

コレクションの中でイスラムの効果を利用するという大胆な

ステップを踏んだデザイナーたちパリのランウェイ(ステージ)にも

そのような状況は残念ながら垣間見られます。しかし、シャネルが

コルセットを時代遅れのものとすることができたのなら、おそらく

今日のデザイナーたちも寛容さを最新の流行として導入することができるでしょう。