元少年兵のミシェルのことがジャパンタイムズで紹介されました

こんにちは、翻訳チームの浅田です。

ミシェルが来日時にジャパンタイムズさんにインタビューして頂き、

6月21日付ジャパンタイムズで紹介されました。

その時の記事の翻訳が完成しましたので、ご紹介いたします。

(訳者:翻訳チーム 山田あさ子)

 http://www.japantimes.co.jp/text/nn20120621f2.html

元少年兵のミシェルさん「日本も子どもの国際的な人権について関心を持ってほしい」

 

ミシェル・チクワニネさんというカナダの大学生は、かつてコンゴ民主共和国の少年兵で、日本の子どもが絶対に経験しないような経験をしました。しかし、彼は、少年兵を含めた児童労働問題が、日本にまったく関係ないとはいえないと言います。

 

チクワニネさんは、先週の6月12日、日本で滞在していました。この日は、ILO(国際労働機関)、国連、その他の児童動労に反対する機関が児童労働に反対する活動を行いました。

東京のカナダ大使館で行われたジャパンタイムズ誌のインタビューの中で、チクワニネさんは、「子どもが学校に行かないで労働を強いられる状況はよくありません。教育を受ける機会を与えられるのは、国際的に子どもの権利す。」と言っています。

チクワニネさんは10日間の滞在で、北海道から九州まで学校や様々な機関で講演を行いました。

ILOの調査によると、世界中の2億1500万人の子ども達が、学校に行かずに働かされています。そして、半数以上の子ども達が、奴隷のように危険な環境での労働を強いられています。また、多くの子ども達が、麻薬の密売や買春、紛争で兵士として関わっています。

チクワニネさんは、「多くの日本人が関心を示してくれますが、この問題を理解している人は少ないです。」と言います。

例えば、ほとんどの人が、自分の着ているTシャツがどのように作られたかを疑問に思いません。もしかすると、そのTシャツは東南アジアの子どもたちが作っているかもしれないのです。

 

「あなたが今、日本にいるから世界の問題に関心を示さなくてもいいということではありません。なぜなら、あなたが望んでも望まなくても、あなたは世界と関わりがあるからです。日本は世界の一部なのです。日本は、よい世界を作るために役割を担っているということを理解すべきです。」と言います。

チクワニネさん(24歳)は、カナダのトロントに本部があるフリー・ザ・チルドレン・ジャパンという、NPO団体の招待を受けて日本に来ました。フリー・ザ・チルドレンは、若者が世界の問題、貧困や児童労働などを学ぶことを通して、世界の問題の解決に向けて理解を深める運動を行っています。

カナダでは、1995年に12歳のクレイグ・キールバーガーさんが、11人の学友を誘って児童労働を反対しようと設立しました。今日では、45カ国以上の国で、子ども達が中心となって活動しています。

チクワニネさんは、2007年から2009年まで、トロントのフリー・ザ・チルドレンのスピーカーとして、アメリカ全土やカナダ、エクアドルまで、彼の経験を人々に話すために旅をしました。

1988年、ベニという、当時ザイールで生まれたチクワニネさんは、5歳で誘拐され少年兵にされました。彼はアフリカの紛争の真っ最中に育ちました。

1988年に、9つのアフリカの国々によって始まった第二次コンゴ戦争は、2003年に平和へ向けて調和することで終結しましたが、アフリカの東の地域では未だに紛争が続いています。

「およそ30万人の少年兵が世界には存在します。私は特別な少年兵の例ではありません。」と、チクワニネさんは言います。

チクワニネさんは、AK47のライフル銃で人々を撃つことを強いられたと言います。彼は親友をも撃たなければいけませんでした、そして他の少年兵たちも。しかしながら、彼は軍隊のキャンプから逃れ、二週間後に故郷へ何とか逃げ帰りました。

反乱軍は人権運動家である彼の父親を探していましたし、彼の母親と2人の姉を彼の目の前で性的暴行を加えたのです。

兵士達から逃れるため、最終的に保護されるウガンダにたどり着くまで、家族はいくつかの町を転々としました。しかし、2001年に彼の父親は毒殺されました。

父親の死後、2004年に、母親は彼と妹を連れ、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の支援のもと、オタワへ逃亡することができました。

チクワニネさんは、「私達はカナダを選びました。なぜなら、人々の人権に対してとても理解がある国だと父が言っていたからです。オタワの空港で銃弾が全く飛ばないのを見た時、彼は、人生の中で最も平和だと感じました。」と言います。

最初は順応するまでいくつか問題はありましたが、チクワニネさんはすぐに彼の新しい環境に慣れました。

彼は、「私はとても順応しやすい人間です。私の苗字の”Chikwanine”は、「何にでも適応する人」という意味なんですよ。」と笑顔で言いました。

チクワニネさんは、彼が経験したことを、他の子ども達には経験してほしくないと強く思っています。なぜなら彼は、「心の傷はそう簡単に癒えないこと」を知っているからです。

「あの恐ろしいイメージがいつもついてきます。私はいまだに悪夢のために眠れない夜があります。」と話してくれました。

しかしながら、彼は変わりたいと強く思っています。

「私の経験は私の人生の一部なんだと考えるようにしています。私は過去を変えることができません。私ができるのは、他の子ども達に自分のような経験をさせないようにすることです。」

父親の遺志を受け継ぎ、チクワニネさんは、現在トロントの大学3年生で、アフリカの研究を専攻しています。チクワニネさんの夢は、いつか教授になって、そして、かつて少年兵として働いていた子ども達のために、サッカーの学校を開くことです。

「戦争が終わったら、私はコンゴに帰りたいです。私はコンゴが恋しい。コンゴは私の故郷です。」と彼は言います。