ネルソン・マンデラ氏を偲び、声を上げる子どもたち

ネルソン・マンデラ氏が2013年12月5日に95歳で亡くなりました。マンデラ氏は、 南アフリカ政府の人種隔離政策「アパルトヘイト」に反対運動をした罪で27年間の刑務所生活を送りました。しかし、1990年に刑務所から釈放されると4年後に初めて民主的に選ばれた南アフリカ共和国大統領に就任。その後ノーベル平和賞を受賞するなどしました。マンデラ氏は生涯を通じて全人種の平等のために尽力し、南アフリカだけでなく世界中の人々の心を動かし勇気づけ影響を与えました。

マンデラ氏死去の訃報を受け、フリー・ザ・チルドレンは深い悲しみに包まれました。なぜなら、氏は生涯をかけて平和、教育、平等に尽力され、世界の希望だっただけではなく、フリー・ザ・チルドレンが団体として尊敬してやまない方で、生前、氏とは交流があったからです。私たちは光栄にもマンデラ氏から直接数々の素晴らしい言葉を頂き、多くを学びました。

去年の9月にフリー・ザ・チルドレンの創設者のクレイグが南アフリカを訪問した際、マンデラ氏の体調が悪化していることを知り、氏の偉業を称えるためにも2013年9月からの1年は氏がいつも私たちに語っていた「教育こそが世界を変えるために強力な手段である」という言葉をモットーに「教育普及キャンペーン」を展開することにしました。今、氏が遺した理念を引き継ぐために、フリー・ザ・チルドレンでは、「ネルソン・マンデラ死を追悼して教育の重要性を思い起こそう」と呼びかけています。また、12月10日に南アフリカで開催されたマンデラ氏の追悼式にはフリー・ザ・チルドレンを代表し創設者のクレイグがカナダから出席し氏を称え偲びました。

マンデラ氏の死去後、政治家や宗教関係者や人権擁護活動家のおとなたちの声明は報道されましたが、一方で、南アフリカの若者はどう感じているのかということはあまり聞かれていません。そこで、クレイグは追悼式後、引き続き南アフリカに滞在し南アフリカの10代の若者の声を聴くために、マンデラ氏の死去に伴い意見交換をしました。

リオナ・ベリムさん(18歳)は南アフリカの何百万という若い黒人女性の一人としてマンデラ氏の偉業を遠くから見ることができた若者です。彼女は追悼式や路上で繰り広げられた即興パーティーに出席はしていませんが、マンデラ氏が残した遺産について疑問に思うところがあるといいます。

「私は、アパルトヘイト撤廃後に生まれた世代です。マンデラ氏は私たち南アフリカは『虹の国家』になったと言っていました。(様々な人種が共存できる国の意)しかし、ある地域ではいまだに差別があり、公になっていないアパルトヘイト状態が続いています。人種差別が根付いており、黒人はひどく扱われているのです。」

べリムさんのように多くの若い世代は、マンデラ氏が亡くなってしまって、今後国がどうなっていくか将来に不安を抱えていることがわかりました。マンデラ氏でなければ、いったい誰が「虹の国家」のために闘えるのか、と彼女は言いました。

このような声を聴いて、若者へのアプローチを行っているフリー・ザ・チルドレンとして、若い南アフリカの黒人のユースと地球の裏側にいるカナダのトロントの学生とがスカイプで会話を持てるような機会をクレイグの南アフリカ滞在中に作りました。南アフリカからはマンデラ氏の出身地のそばに住む東ロンドン地区在住の10人以上の子どもが参加し、カナダからはフリー・ザ・チルドレンの「マンデラ氏を追悼して教育について考えよう」キャンペーンに参加しているトロントの学生が参加しました。南アフリカの子どもたちは自国の国の課題や思いをカナダ人の学生にシェアしました。

クレイグが南アフリカで出会った多くの若者と同じように、スカイプ会議に参加した南アフリカの子どもたちは彼らの親や祖父母の世代によって崇拝されまるでスーパーマンのように崇められたマンデラ氏の死去にとても動揺していると語りました。そして、あまりにも偉大なマンデラ氏がいなくなった今、そして、今後はどうなってしまうのかと不安に思っていると話しました。マンデラ氏が国の課題を解決できなかったのに、いったい誰ができるのだろう?という気持ちだと言います。

クレイグが話した南アフリカのユースたちが一番心配していることは、かねてから課題とされている貧困、栄養失調、人種差別、低水準教育、世界的にも非常に高い若者の失業率といった問題でした。南アフリカでは1000万人もが失業状態にあり、そのうちの半数が15~24歳だと言われています。ある統計によれば57%の失業率がみられる地域もあるといいます。

トロントの学生は、マンデラ氏が遺した理念のもと、国を改善させるためにできることはなんだと思いますか、と南アフリカの子どもたちに聞きました。

ジョセリン・グパデュさん(15歳)は、子どもが教育を受けられるように支援することだと思うと答えました。シマロ・ツァンガナさん(19歳)は学校を改善させ授業料などはもっと安価にすべきだと答えました。「私の友達でも、両親が教育費を払えないために学校に行けないっていう子がたくさんいます。」と話しました。

極端に恥ずかしがり屋のデフィー・マポウさん(17歳)は、自分は授業料無料の高校に通っているけれども、学校環境はひどいもので机は壊れているし、書く物や紙はなく、水回りの設備も壊れたりしていて、給料の低い先生は生徒に無関心で休むこともしばしばあり、生徒と一緒に慢性的にドラッグをしていると、クレイグに小さな声で語りました。「本当はあんな学校に通いたくないけれど、どうにかして卒業したいから仕方ありません。」と彼女は言いました。

南アフリカの生徒たちは、遠く離れた外国の学生がこんなにも自分たちのことを気にかけてくれ、マンデラ氏の死を追悼したキャンペーン活動に参加していることに驚き興奮していました。トロントには「ネルソン・マンデラ・パーク公立学校」という名の学校があるということを知って息を弾ませていました。

また、オンタリオ州副知事のデイビッド・オネリー氏がマンデラ氏が払った犠牲を大局的な視点でとらえていることにも学生たちは拍手を送りました。オネリー氏は、マンデラ氏が刑務所に入った時は自分は14歳だったが、27年後に刑務所から釈放された時にはオネリー氏は結婚し三人の子どもがいたと話しました。

南アフリカとトロントの学生をつなぐスカイプ会議の後、べリムはクレイグに声をかけ、マンデラ氏の遺志を継いで自分やほかの若い南アフリカ人とが一緒になって、平等のために突き進み続けたいと話してくれました。なぜなら、マンデラ氏の死とともに「虹の国」への希望も葬り去られてしまったらそれこそ残念で仕方がないからだと。