ハイチ大地震から10年:クレイグがふりかえるこの10年の歩み

クレイグのコラム紹介です。

https://www.we.org/en-CA/we-stories/opinion/canadian-kids-help-rebuild-haiti-earthquake-10-years

 

「ハイチ疲れ」という言葉を、みなさんはご存知でしょうか?

 

これは、2010年にハイチの首都で多くの犠牲者を出した地震が発生した1か月後頃から、国際開発や寄付に携わる人たちが、ハイチの復興が進まない状況を表すために使い始めていた言葉です。

当時、ハイチでの1991年の軍事クーデター以降から国連が長年行っていた介入政策や、同国での政治的混乱が復興の妨げとなり、国際社会にはいらだちが広がっていました。

そのような状況下で、国際社会の援助は同国に変化をもたらすことができず、危機から抜け出せない状況になりました。

10年経ったいまも、世界はハイチについて同じような話をくりかえしています。

その一方で、多くのハイチ人は、母国がマイナスのイメージで見られていることについて、いらだちを募らせています。

自分たちがこの10年積み重ねてきた成功を、世界が認めようとしないとういうことに。。

 

私自身も、このハイチの人たちのいら立ちに共感しています。

この10年のハイチの歩みを、現地で実際に見続けてきたからです。

現地の人たちや、現地で復興支援に携わった人達が積み重ねた努力を見てきた私は、ハイチの人たちが決して諦めない人たちだと知っています。

そんな彼らの姿に多くのカナダ人の子どもたちが刺激を受け、社会を良くするための新たなアクションを起こしているとういことも。

 

10年前の地震の直後、私はすぐにハイチの首都ポルトープランスに駆けつけました。

当時既にフリー・ザ・チルドレンがハイチで支援事業を開始してから10年以上が経っており、現地の子どもたちやスタッフたちのことがとても心配でした。

幸いなことに、支援した学校などに大きな被害はありませんでした。

 

それ以降も、私はくりかえしハイチを訪ね、首都だけでなく農村部も含め国中が復興に邁進する様子を見てきました。

訪ねる度に、防災設備が施された教室が現地の人々によって新築されていく光景や、生徒を食べさせるための食糧を確保するための校内菜園が始まる光景、さらには安定的な収入を確保するために家畜を育てる生徒の親御さんたちの姿などを見て、復興への新たな希望を目の当たりにしてきました。

 

統計やニュースは、物事を推し量る上で有効な判断材料かもしれませんが、変革を実際に起こしているのは、数値では推し測れない大勢の人たちのひとりひとりの存在です。

ハイチの支援を巡っては、NGO界隈の対応も含めて落胆することもありますが、そんなときはハイチの人たちをいつも思い出しています。

 

ハイチの人たちに、多くのカナダ人の生徒や教師たちが刺激を受け、チャリティーやボランティア活動に勤しんでいます。

国際社会がハイチの復興支援に関して一区切りついたかのような雰囲気になっているなかで、多くの生徒や教師たちがハイチへの支援を変わらずに続けています。(当団体だけではなく、多くの他のNGOでの活動も含めて)

 

Jan Divokは、トロントの公立校の教師です。

7年生と8年生のハイチへの募金活動を、10年近くに渡り指揮してきました。

ハイチでの学校建設や水の確保に関連する事業を行うための充分な資金を集めました。

 

「ハイチの現状に絶望して、ハイチの人たちを見捨てるなどということはあり得ません。ハイチのために私たちができることをこれからも続けていきます。」Divokはそう語ります。

 

Divokは、これまで多くのことを成し遂げてきたハイチの人たちに感銘を受けた大勢のカナダ人教師のうちの一人です。

教師や生徒たちはこれからもハイチを支援し続けます。

地震が発生してからのこの10年間、ハイチはハリケーンや熱帯防風、洪水や干ばつなど、多くのことに苦しんできました。

ハイチの人たちは未だ復興の道半ばにいます。

そして多くのカナダ人の若者が、ハイチの人たちと共に歩んでいるのです。