ドキュメンタリーで、世界を変える!
様々な情報があふれる現代社会。
今回ご紹介する若者は、ドキュメンタリーという手法で多様な世界の情報を伝えることで、世界を変えようとしています。(清田)
https://www.we.org/stories/student-breaks-stereotypes-in-media-through-storytelling-project/
トロントの冬、日は長くありません。昼の時間が短くなるにつれ、気温もさらに下がります。
それにともなり、霜が降りるほどの厳しいこの季節は、多くのカナダ人から元気を奪います。
しかし、この薄暗く雪が降る午後でも、10代の若い社会起業家たちは 「the WE Incubation Hub」 に通うことを止めません。
The WE Incubation Hub は、社会問題の解決に熱心に取り組む14歳から19歳までの若者たちの、世界を変えるためのアイディアを、さらに深化させることがきるようにするために、WE(フリー・ザ・チルドレン)のスタッフからアドバイスを受けられるメンターシッププログラムです。
チェンジメーカーたちを、経験のある社会活動家、リーダーファシリテータ、社会起業家やビジネス分野の専門家とつなげる場となり、若者たちが、地域や国際社会をより良くするためのアイディアを練る場となっています。
昨年11月に開催されたセッションでは、児童労働についての絵本作りや、ボランティアをしたい人とボランティアを探している人をマッチングするアプリなどが議題に上がりました。
そのなかに、カシャ・スラヴナーが取り組もうとしているプロジェクトもありました。
トロント出身、現在19歳のカシャは、暗い報道ばかり伝えているメディアに風穴を開けるために、the WE Incubation Hub に参加しました。
明るく前向きなことを発信する活動を通じて、希望を抱きながら日々の暮らしに向き合う人々の姿を伝えたいという想いを持っていました。
カシャはすでにプロジェクトの構想を形にしていたのです。
プロジェクトのため、カシャは母親とともに、半年の期間をかけ、世界中を旅し、人々がどのように人生の困難を乗り越えて来たかインタビューをしました。
旅の収穫は、2万枚の写真と何十時間にも及ぶ映像になりました。
持ち帰った資料をドキュメンタリー作品にしたカシャでしたが、それを学校で使う教材にするために、 the Hub からサポートが必要でした。
カシャの最終目標は、人々の間で対話を生むきっかけになるような作品を創るという明確なものでした。
WE School のカリキュラムやキャンペーンが促進するように、カシャも自分のプロジェクトを使い、生徒たちに身近な社会にもっと目を向け、世界を変えることに熱意を持って欲しかったのです。
さて、ここでカシャの物語を遡ってみましょう。
彼女が the WE Incubation Hub を知る前、旅を通したプロジェクトを始めるよりも前、何がカシャをこんなにも社会活動にやる気にさせたのでしょう?
のちにチェンジメーカーとなる彼女の心に火を付けたのは、母親、マルラ・スラヴナーと WE の共同創設者のクレイグ・キールバーガーでした。
「私の社会正義の意識は母から受け継いだものです。」と、カシャは言います。
母親の隣で、カシャは横に座る素晴らしい女性 (母) が1人で彼女のことを育ててくれたことを話しました。
カシャは、正義や公平性についてのディスカッションが、もはや自宅のBGM代わりになっていたことや、2人で所得不平等への抗議集会や、女性の権利の支持運動に参加したことをよく話していた、と言います。
ある日、この母娘のペアはクレイグ・キールバーガーがスピーチをすることになっていたイベントに参加することになっていました。
そのイベントで、クレイグがどれだけ若者が世界をより良くしようと、WE Movement に取り組んでいるかを話すのを聞くことは、まるで稲妻が空と照らすように、カシャに WE Movement 参加への情熱を与えました。
「クレイグの話は私に、興味があることに参加する、という夢を後押ししてくれました。」とカシャは説明します。
以前より、カシャは、学校のWEクラブに所属し、飢餓やホームレス問題を調査していました。
熱意に満ちた自身の社会運動が認められ、14歳だったカシャは、母と、そして世界中から選ばれた代表と共に、ジェンダー平等に関する国連の会議に出席しました。
母娘は、戦争の無い世界を希求するNGO「平和を求めるカナダ人女性の会」を代表して会議に出席しました。
そこには、代表として出席したカシャが、希望を見失わずに世界の不条理に抵抗する人々の話を聞いている姿がありました。そして、日々の営みこそが、日頃の生活や世界をより良くするということを学んだのです。
会議で聞いた戦争や苦しみの実情はカシャの中に消えることのない傷跡を残しました。
カシャは、この会議が自身に与えた影響をこいふりかえります。
「私が愛する写真撮影を通じて、世界に彼らのような話を広めたいとを確信しました。」
この経験を通し、カシャは自分が何をしたかったかを知りました。クレイグ、カシャは社会変革への情熱を追求するため、休学を決めました。
そして彼女は、クレイグのように世界を旅して、よりよい世界を実現しようとする人たちと出会いう旅に出ることを決意しました。
カシャは自身の旅を 「The Global Sunrise Project」と名付けました。
母親の助けもあり、カシャは1年間をかけ、旅の資金を集めたり、計画を練ったりしながら、16歳の誕生日に出発の日を迎えました。
彼女の冒険の最初の目的地は、南アフリカでした。母と共に南アフリカに降り立ったカシャの手には、訪れる必要のある現地のチャリティー団体のリストがありました。
人々の話をたどり、2人は(貧困に苦しむ人たちがダンスやアートを楽しめる施設がある南アフリカの街から、タイにある、家庭内暴力から逃れてきた母娘のためのシェルターなど、様々な場所と赴きました。
タンザニアやモザンビーク、中国でカビに悩まされた思い出もできました。
カナダの地へ戻ったカシャは、海外で行ったインタビューを、彼らが面する困難を伝えるドキュメンタリーとして編集する作業に、すぐさま取りかかりました。
世界の様々な地域で行われたインタビューは、「希望」という一つのテーマで繋がっています。
この旅で出会った人々はみんな、希望を持って困難に打ち勝つことの大切さを話しました。
カシャにとって、このドキュメンタリーの筋描きは、「どんな国であろうと、変化は絶対に起こせる。」ということを伝えることでした。
「私は、前向きな目線で物事を見たいんです。この映画の中の物語は、すべて異なるものです。しかし、その全てが力強く不条理に抵抗している点で共通しています。」と、カシャは語ります。
映画祭でのドキュメンタリー上映を成功させ、写真展も行ったカシャでしたが、まだ彼女は、旅で得た経験をさらに多くの人々に伝えたかったのです。
特にカシャが目指したのは、クレイグがこれまでに成し遂げたように、さらに多くの若者たちを社会変革運動に導くことでした。
WE Incubation Hubについて聞いたカシャは、参加を即決しました。その時彼の女は、自身のドキュメンタリーや、写真などを用いて、メディア論を教えるワークショップを高校で行うことを考えていましたが、それを実現させる方法が欠けていました。そんなカシャに、The Hub が助けを差し伸べました。
The Hub との一対一のセッションが始まり、カシャは次の目標実現へと歩み始めました。
この工程では、全ての The Hub 参加者が2人1組のペアに分けられます。
カシャのパートナーはタリサ・ソレスでした。WE のファシリテータを長年務めるベテランです。
そのため、タリサは、カシャがどのようにワークショップを行うべきか、また、どうすれば彼女の資料を生徒が楽しめる教材に仕上げられるか、についてアドバイスをすることができたのです。
人前に立つのではなく、人を撮ることが得意なカシャですが、タリサと共に、自身が人前で話す練習なども行いました。
カシャは自身について、「舞台に上がり、人前で話をするのはとても緊張します。恐怖を感じるし、得意なことではありませんが、そのような面で、タリサは私が何をできて、得意なのかをとてもよく理解してくれています。」と話してくれました。
そして今、自身のプロジェクトについてだけでなく、スピーチをすることについても自信を得たカシャは、プロジェクトを教材として完成さえるための最終作業へと移りました。
娘と世界を旅するために全てを諦めた母、マルラは、この数年でリーダーとして知識をつけ、”WE” を通し磨かれてゆく娘、カシャを誇りに思います。
マルラは、「私の娘は今、まるでスポンジのように全てを吸収し、新しいアイディア、スキルを彼女の中で育てています。」と、言います。
「そして、それこそがメンターシップなのです。カシャにはたくさんの可能性があり、WE はこれまで、その可能性を引き出してくれました。あの娘の母として、それについてはとても嬉しく思います。」と、母としての思いを語ってくれました。
(原文記事執筆: ジェシー・ミンツ 翻訳:翻訳チーム 高山みのり 文責:清田健介)