亡きあともこの世に息づく、ネルソン・マンデラの教育への想い
今年はネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領生誕100
年の年です。生前のマンデラと親交のあったクレイグと
マークは、在りし日の同氏を想いつつも、「次のマンデラ
」たちを見つめています(清田)
https://www.we.org/stories/on-mandelas-centenary-his-legacy-of-education-lives-on/
5年前、太陽が降り注ぐ南アフリカの地に降り立ったクレイ
グは、同国の英雄の葬儀に参列し、南アフリカの国民と共
に英雄の死を悼みました。
ネルソン・マンデラは、もしいまも存命であれば、今月に100
歳の誕生日を迎えていました。彼の数多くの功績をここにす
べて記すことなどできる訳ないのですが、私たちの視点から、
マンデラ最も大きな功績について触れたいと思います。その功
績とは、クレイグがマンデラの故郷の村で、悲しき時を過ごした
中で、村の子どもたちの瞳から感じた希望でした。その希望は、
紛れもなくマンデラから受け継がれたものでした。大統領、そし
て反アパルトヘイトの活動家であったマンデラは、南アフリカの
国民に初等教育を受ける権利と機会を保障するという、革命的
偉業を成し遂げました。それは、マンデラの自身の人生を変えた
贈り物を、南アフリカの次の世代を担う子どもたち全員に贈るとい
うことでもありました。
マンデラの両親は非識字者でしたが、敬虔なキリスト教徒
であったマンデラの母親は、彼を日曜学校に通わせていま
した。マンデラはそういった面では恵まれていました。アパ
ルトヘイト体制下では、黒人の子どもが教育を受ける機会
というのは稀だったのです。マンデラの生誕100年を祝いつ
つ、「次のマンデラ」がいまこの世界にどれほどたくさんいる
のかということに、私たちは思いをはせています。教育によ
ってエンパワーメントされ、偉業を成し遂げる準備をしている
若者たちのことを。私たちが出会った、家庭や地域、そして世
界に変化を起こしている若者を少し紹介します。
インドのラジャスタン州の農村部には、女子教育を「時間の
無駄」として軽視する風潮が根強くあります。マムタ・ロハー
の両親は、その考え方に賛同しませんでした。この「不服
従」は功を奏しました。10歳だったマムタは、授業で水感
染症について学んだあと、両親に飲み水を良く沸かすよ
う説得しました。すると、家族の健康状態は劇的に改善
しました。マムタはまだ高校生にはなっていませんが、将
来は大学で医学を学び、たくさんの人の命を救えるように
なりたいと考えています。
5歳の時、フランシス・ネイモードゥは基礎的な電子工学
を独学で学び、ケニアのマサイ・マラ村の自宅で共に暮
らす家畜を、夜間の略奪者から守るために、応急処置的
な照明設備を整備しました。思春期の頃には、何でも修
理できる「村の便利屋さん」になっていました。2017年、
自宅近くに、村内初の中等教育機関であるネグロット高
校が開口した際、フランシスは猛勉強して、350人以上の
志願者の中から、33人の合格者のうちの一人に選ばれ
ました。現在高校1年生のフランシスは、将来は村の構
造的課題を解決できるエンジニアになりたいと考えています。
カナダでは、教育を当たり前のように受けられると思われが
ちですが、そんなカナダにおいいても、地域内での学校教育
の保障を求めて、闘っている人たちが未だにいます。
チェルシー・ジェーン・エドワーズは、自身の高校時代を、地
元の先住民地区、アタワピスカトでの新しい小学校建設を求
める運動に費やしました。2014年、甥っ子が新しく開校したア
タワピスカト小学校に入学する姿を見た時、チェルシーは涙を
流しました。しかし、小学校建設運動の勝利はチェルシーにと
っては始まりにしか過ぎません。現在、チェルシーはNPOの共
同創設者として、すべての先住民の若者に対しての教育の機
会の保障を求める運動に携わっています。また、その世界の
実現を目指して、法律も学んでいます。
カナダのバージェットに住む、17歳のマリアム・サッバーフは、
教育を受けたことで社会に前向きな変化を起こすことができた
と言います。
マリアムは地元の小学校に通う生徒たちの相談役を務め
ています。また、自身の通う高校に対して、エネルギー対
策と気候変動対策を講じるよう求めるロビー活動を行い、
成功を収めました。さらに、カナダに住むシリア人難民を支
援するための寄付を募る募金活動を行いました。来年から、
マリアムはマギル大学で国際経営学を学び始める予定です。
「地球という村を良くしていくという、私のライフワークを続けて
いくために」
マンデラの精神は、このような素晴らしい若者たちの中で生
き続けています。マディーバ(マンデラの愛称)は、そのことを
誇りに思っていることでしょう。