【コラム】 フィリピンの戒厳令の、過去と現在
フリー・ザ・チルドレン・ジャパンのパートナー団体であり、フ
ィリピンで活動を行うプレダ基金の運営を行っている、シェイ
・カレン神父が執筆したコラムをご紹介します。
フィリピン国民が第二次世界大戦後初めて、圧政と理不尽
な略奪に苦しんだのは、1972年でした。マルコス大統領は
任期が終わる1972年に、権力と影響力を失うことを恐れて、
戒厳令を布告し、議会を廃止し、大統領職の任期延長を明
言したのです。国民主権を歌い、国民の生命、自由、財産を
保護するはずの憲法は停止され、マルコス大統領は、自分
自身が法的権限を有する絶対的支配者であると宣言したの
です。そして、「暴政」が始まりました。
それまでの任期中にも、大勢の反体制派のリーダ、党員、
ジャーナリスト、そしてマルコス政権の腐敗に批判の声を挙
げた人たちが、一斉に検挙され、処刑されたり、投獄された
りしました。処刑を免れるため、海外に逃げた者もいました。
理想主義的な若者や、自由を愛する若者の多くが、森や
川に逃げていきました。彼らは共産主義のイデオロギー
を基盤とした「新人民軍」と呼ばれる抵抗運動を結成し、
現在もその勢力を保ち続けています。しかし、多くの無実
の若者が即刻、処刑されてしまったのです。
私がオロンガポ市のセント・リタ・パリッシュ教会にいたころ
の話ですが、薬物絡みの容疑で拘束されていた16才の少
年が地元の刑務所から脱獄し、丘の中腹の小屋に潜んで
いるところを警官に発見されてしまいました。警察が投降を
呼びかけたため、彼は付近の住民らの前に出て来ました。
警官は彼に跪くよう命令すると、すぐさま銃で頭部を撃った
のです。無実の少年に対する残酷な処刑でした。今日の麻
薬撲滅戦争における若者の殺害と似ています。何の証拠も
ないまま、「殺人」警官によって頭を撃たれたり、心臓を一突
きされたりしているのです。彼らは連続殺人犯であり、権力と
いう名の薬物で気が変になり、見境がつかなくなった者たちな
のです。しかも刑事免責も受けられる、高給取りなのです。今
も昔と何も変わっていません。
残忍なマルコス政権下では、フィデル・ラモス司令官率いる
フィリピン国家警察、軍、州警察により2万人もが殺害され、
略奪も行われました。マルコス大統領一家は、数十億ドルの
現金と数トンの金を国庫や民間企業から略奪したと言われて
います。そして海外に不正蓄財しましたが、今もわずかしか回
収されていないのです。
反体制派や、政権に批判的な立場の人が所有する会社は
接収され、所有者は殺害されるか、国外追放となりました。
財産はマルコス大統領の取り巻きに乗っ取られ、大統領自
身も分け前を受け取っていました。暗殺隊が全国に派遣さ
れ、路上には拷問されて殺害された遺体が転がっていまし
た。民兵は暴徒化し、怒りの矛先は教会関係者にも向けら
れました。牧師や司祭、教会職員らは殺害され、教会迫害
キャンペーンのスローガンは「愛国者になって司祭を殺そう」
だったのです。恐怖と裏切りの時代でした。司祭たちは、ネグ
ロス島の市長殺害事件の濡れ衣を着せられました。3人の司
祭と6人の教会職員は、ネグロス・ナインとして有名ですが、犯
してもいない罪により裁判にかけられました。
マルコス大統領も、麻薬撲滅戦争を行いました。大統領は、
麻薬密売人らを厳しく取り締まり、麻薬使用者や薬物依存の
若者、数千人を投獄しました。大統領はテレビの生中継で、
中国人の売人の公開処刑を行いました。有罪を確定させる
ための証拠も証明も必要ありませんでした。これは世界中に
衝撃を与えました。圧政と投獄、歯向かう者は裁判もせずに
拷問し、殺害する、こうしたことは、フィリピン国民に更なる苦
しみをもたらす残虐な負の遺産でした。そして今日、これらが
再現されているのです。
マルコス政権下では買春ツアーも横行していて、外国人の
小児性愛者がそこら中にいました。彼らはマルコス大統領
が低迷する経済立て直しのためにどうしても欲しい外貨の
収入源だったのです。外国人に性的虐待を受けたロザリオ・
バルヨトさんの例です。彼女はオロンガポ総合病院で激痛に
苦しみながら亡くなりました。壊れた性具の破片が体内から
発見され、それが原因で治療不可能な感染症を引き起こし
たのです。
その後、ロザリオさんに性的虐待を行った外国人観光客が
逮捕されました。その外国人観光客は、ある意味では、オロ
ンガポ市に隣接するスービック米軍基地の兵士たちの身代
わりにとして逮捕されたようなものでした。この外国人観光
客の逮捕劇に注目が集まった一方で、オロンガポ市に以前
から存在していた、米海軍基地兵士らによる貧しいフィリ
ピン女性や児童への酷い性的虐待疑惑については、
警察も政府も何もしませんでしたし、注目されることも
ありませんでした。オロンガポ市では、「性を売る」こと
が唯一の産業だったが故に、性的虐待については、警
察も政府も、その現状を黙認していたのです。
集団による児童性的虐待のケースでは、複数の米海軍兵が
9歳の子どもを含む子どもたちに対し性的虐待を行い、それが
プレダ基金のソーシャルワーカーによって暴露されました。
しかし、マルコス政権は児童保護施設を閉鎖し、その設立
者を国外追放しました。これも戒厳令の負の遺産なのです。
拡大する性産業が、フィリピンの女性や子どもたちを外国人
観光規約のための売春婦にしてしまいました。戒厳令を敷く
ために全面的に米軍に依存し、警察や軍は武器でフィリピン
国民を抑圧しました。ピープルパワー革命(エドゥサ革命)に
よりマルコス大統領を権力の座から追放した直後、プレダ基
金は、米軍基地の撤退と、その跡地を、国民や企業が自由
に活用できる経済特区として再活用できるように求める運動
を行いました。その運動は大きなうねりとなり、成功を収めました。
マルコス政権の負の遺産は、今日も残っています。たとえ、
マルコス大統領の遺族たちが国立英雄墓地に故マルコス大
統領を埋葬して、独裁者というマイナスイメージを払拭しよう
としても、ドゥテルテ大統領が故マルコス大統領の生誕日を
祝日にすると宣言しても、そして、息子のボンボン・マルコス
氏がむなしい努力の末、副大統領選に立候補して落選した
としても、遺産は残っているのです。
今日、マルコス大統領を偶像崇拝化しようとする者たちが、
「いつか来た道」を再び歩もうとしています。狂気に満ちた者
が、権力者に言われるがまま、行進し、マルコス政権の戒厳
令下において行われたる最悪の大虐殺と残虐行為が繰り返
されている現状を、我々はいま目の当たりにしています。現在、
ミンダナオ島に戒厳令が布告されていますが、まもなくフィリピン
全土に拡大されるでしょう。私たちは、殺戮に終止符が打たれる
まで、平和と正義の実現に向けて、より大きな声を挙げ続けてい
かなければなりません。
※フィリピン政府は先日、テロ組織との戦闘終結を宣言し
たが、ミンダナオ島での戒厳令は、引き続き継続していくと
している。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/10/200-5_1.php
(翻訳:翻訳チーム 中丸玲子 文責:清田健介)
カレン神父とプレダ基金の子どもたち
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