フィリピンの台風で被害にあった少女の話
FTCJの支援先であるプレダ基金のシェイ神父のコラムの紹介です。
レイテ島タクロバン。私がここに来たのは、人身売買に立ち向かうためのセミナーの準備と、台風ハイエン(ヨランダ)によって被害にあった人々、肉親をなくした人々が住みやすい避難キャンプにしていくためのグループ療法を開くためでした。子どもたちには人形劇をやり、虐待から守るための方法を教えました。しかし、まず、助け出された孤児たちのもとへ向かいました。その中の1人の子の話です。
わたしたちがエリカと出会ったのは、住んでいた家から300メートル離れた白いキャンバス地のテントの中で、おじさんとおばさんと一緒でした。彼女は悲しい経験をしたにもかかわらず、進んで話をしてくれました。
海岸まで500メートルでした。11月7日の夜、彼女と両親、2人の兄弟と両親の部屋で一緒に寝ていました。雨が激しく打ち、風も強くなり、一時間ほどして、目が覚めました。
「強い嵐になりそうだから、みんな体をよせあおう」とお父さんが言いました
2時。風が唸って吹き荒れ、ココナッツの実が落ちて村中の金属シートの屋根にあたって砕ける音が響き渡りました。家族5人は抱き合いました。それが最後の抱擁になりました。
11月8日朝5時に、はるか230キロメートルから吹いてきた風によってできた6~9メートルの高さのものすごい波が、海から村に向かって押し寄せてきました。
突然大波がエリカたちを襲ってきました。窓を突き破り、ドアを壊し、家の中水いっぱいになりました。助けてと叫び、水の上へと泳ぎました。お父さんは屋根の上にあがれと叫びましたが、すでに遅く、水はすべてを飲み込み、逃げることはできませんでした。
そして、屋根がもぎ取られ、暗い空に飲み込まれて行きました。泳ごうと、浮かぼうとしました。そのとき、木が流れてきて残っていた壁に引っ掛かりました。
「枝につかまれ」嵐の轟音の中、父さんは叫びました。両親と兄弟は枝をつかみましたが、エリカは届きませんでした。屋根の裏板にしがみつきました。水は首まできていました。みんな離れ離れになるのがわかるとお母さんは叫びました「エリカ、愛している。あなたを思っているわ。生きて。生きるのよ」
押し寄せる波に流され、暗闇の中に消えて行きました。それがエリカが見た家族の最後の姿でした。エリカも流されココナッツの木にぶつかり、しっかりとしがみつきました。
何時間もたち、波が弱くなり、水が引いてきました。「神様助けて、家族を助けて、お願い。死にたくない」水が完全に引くまで木にしがみついていました。両親と2人の兄弟はいなくなりました。
2か月たってもエリカはまだ悪夢をみます。「よく眠れません。いやな夢を見るの。おぼれ死ぬ夢。家族にあいたい」涙が眼からこぼれ落ちて、口を閉ざしました。
そして、以前エリカたちが住んでいた小さな家のあった場所へ歩いて行きました。瓦礫の山で、ブロック塀が半分だけ残っていました。壊れた鏡、ヘアーブラシ、ぼろぼろになった写真がありました。お父さんが乗っていた小さな白いトラックは、正面のガラスと屋根が倒れた木で壊れていました。辺り一帯すべて壊滅していました。家一軒残っていません。
波が去った後、遺体は散らばり、瓦礫の下敷きになっているものもあり、見つけて、埋葬するのに1週間かかりました。200人以上が亡くなり、見つかっていない人がまだたくさんいます。遺体は見つからないでしょう。水が引くときに一緒にさらっていったのでしょう。荒れ果てたこの土地を見回すと、倒れた木があちらこちらにあり、残っているココナッツの木は、回りをすべてはぎ取られ、湿った灰色の空に、細々と立っていました。
今はエリカの住む家になっているテントに戻ると彼女は言いました、「生きていること、肉親がいることに感謝しています。」
「父さん、母さん、兄弟に会いたい。どこにいるかわからないけど、どこにいようとも、みんなのために祈ります。神様がすべてご存じでしょう」
将来の事を聞くと、「勉強して先生になりたいです。話を聞いてくれてありがとう」最初に会った時より、いくらか明るくなったように見えました。
(翻訳チーム::天海一菜 文責:浅田紀子)