買春被害から立ち上がったフィリピンの少女
フリー・ザ・チルドレン主催Take Action Campにフィリピンから参加してくれた元児童労働者で、買春被害にあうなどした17歳の女の子が自分の体験や思いをシェアしてくれました。その時のスピーチを紹介します。
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こんにちは、私は17歳です、フィリピンから来ました。現在、フィリピンのNGOのプレダ基金の保護施設で暮らしています。プレダ基金は虐待を受けた少女を救出、保護している団体で、私もプレダ基金によって助け出されました。というのも、私自身ドイツ人男性によって性的虐待、性的搾取を受けた被害者だからです。
私は10人兄弟姉妹と両親のいる12人家族出身で、とても貧しい暮らしを送っていました。私の両親は、ミシンを使う縫製工として働いていますが、いつも仕事があるわけではなく、注文に応じて仕事をしていたのですが収入がとても少なかったのでとても10人の兄弟姉妹が暮していくことはできませんでした。時にはご飯を食べれないときもありました。
あまりに、両親の収入が少ないので、一番上の兄と姉は学校を行くのをあきらめ、働き始めました。姉や兄が働くようになりましたが、家計はとても苦しく、幼心に、貧しさの中で生きていくのはとても大変だということをいつも感じていました。私の母は家計を切り詰めようと色々と知恵を絞りましたが、それでも、貧しさから抜け出すことはできませんでした。そして、働き始めた姉や兄を見て、私も家族を助けたいと思うようになり、小学校5年生のときに何かしらの仕事をしようと思い、学校を中退しました。
しかし、小学校を卒業していない何のスキルも経験もない私を雇ってくれる人はいませんでした。何とかして稼ごうと思い、知り合いに仕事を探していることを伝えていました。すると、ある日私の友達のスーザンが、私でも稼げる仕事があると言って、1人のドイツ人男性の所に行こうと誘ってきました。私はどんな仕事をするのか分かりませんでしたが、スーザンについていくことにしました。
ドイツ人男性の家に初めて行った時は緊張しましたが、そのドイツ人は優しく家に招き入れてくれて、彼と一緒に映画を見たり話したりするだけだったので、緊張はほぐれていきました。そして、それだけで500ペソ(約1150円。フィリピンの1日の最低労働賃金は400ペソなので、非常に高額)を貰えたので、なぜこんなにお金を貰えるのか分からず不思議だったけれど、家族を助けられるので、これからもこのドイツ人男性のところで働こうと思いました。ただ、このドイツ人男性からお金をもらったことについては友達のスーザンからは口止めされていたので、家族にも他の誰にも言わずにいました。
こうして私はこのドイツ人男性の家に行っては仕事をするようになりました。時には複数の女の子が家に来ていました。そして、家の中には鍵がかかる部屋が奥にありました。ある日、ドイツ人男性から鍵のかかった奥の部屋に連れて行かれ、あるドリンクを飲むように言われ、飲んだところそれはアルコールで頭がくらくらしました。そして、意識が遠のくのを感じました。そしてそのあと裸になって踊ることを強要されました。すごく嫌だったけれど、とても強く強制され、仕方なく裸になって踊りました。これは、家族のための仕事だと自分に言い聞かせていました。
しかし、その様子をドイツ人の男が写真やビデオに収めていることがわかり、もうこれ以上ここでは働きたくないと思い、ドイツ人との仕事を紹介した友達のスーザンに打ち明けました。すると、あなたが仕事をやめると、私も収入がなくなるから困る、お願いだから働いてほしいと懇願されました。そして、どうやらドイツ人男性が、私のことをとても気に入ってもっと一緒にいたいといっていると言われ、驚くとともにやめられない状況に追い込まれたのです。結局、誰にも相談できず、貧しい家計を助けるためになるのだから我慢しよう、と自分に言い聞かせ、ドイツ人男性の所に留まりました。すると、ある日、ひどいことが起こりました。またお酒を飲まされ、彼にレイプをされたのです。本当に辛くどうしたらよいか分かりませんでした。
【その後】
途方に暮れているとき、突然、警察がドイツ人の家に踏み込んできました。どうやら誰かが通報をしたようなのですが、私は幼く自分が捕まるのではないかと怯えて泣き出しました。警察は銃を片手にドイツ人男性にむかって叫んでいました。結局、警察はドイツ人を逮捕し、パソコンやカメラといったものを証拠品として押収しました。そして、私は子どもを保護する社会福祉開発省の保護施設に連れていかれました。そこには何もなくまるで牢屋みたいな場所でした。数日後、虐待を受けた子どもを保護するNGOのプレダ基金のスタッフがやってきて、「安心していいのよ、私たちが運営する子どもの保護施設に一緒に行きましょう。あなたは被害者で何も悪くないから心配することはないのよ」と言われましたが、それでもまだ不安でした。
こうして、プレダ基金の子どもの保護施設に移動しました。その時、プレダ基金のスタッフが私の両親にプレダ基金で保護され施設で生活することの許可をもらうために家庭訪問をして、私がどうやってお金を稼いでいたのか、私にどんなことが起こったのか、プレダ基金で保護されるとどういったケアが受けられるのかなどの説明をしました。
一方、警察に捕まったドイツ人男性はあらゆる手段で、わたしを虐待した事実をもみ消そうとしていました。ドイツ人男性の弁護士は私の両親に高額の慰謝料を払うから、虐待を受けたといったことはなかったと警察に言うように要求してきました。また、ドイツ人男性は警察に対しても賄賂を払い、警察が押収した証拠品がなくなりました。私の両親は非常に貧しく苦しかったので、ドイツ人加害者からの申し出を受け入れそうになりました。そして、プレダ基金に娘を返してほしいと言うなどしたのです。しかし、プレダ基金のスタッフは、「今、あなたたち両親がドイツ人加害者からお金を受け取れば、一時的に家計は潤うかもしれませんが、一時的なものです。しかし、もし、私たちとともに、ドイツ人男性に対して訴えを起こし、有罪になれば娘さんの尊厳は取り戻せるし、彼女は私たちの支援で教育を受けられるようになります。娘さんが将来、自立できるよう、教育は必要です」と言って私の両親を説得しました。プレダ基金スタッフの5回目の訪問と説得により、ようやく、私の両親は私の身柄をプレダ基金に預け、ドイツ人男性に対して訴えを起こしていく決心をしました。
現在、ドイツ人男性に対する裁判は継続中です。プレダ基金で私は様々なセラピーを受け、過去の虐待で受けた傷を乗り越える力を貰いました。そして、今はまたプレダ基金から学校に通い始め。中等教育(中学1年)を受けています。私の今の夢は、学校を卒業することです。そして、大学では心理学について学びたいと思っています。
もし、みなさんの中に、精神的、肉体的、性的に虐待を受けているなら、どうぞ勇気をもって誰かに助けを求めてください。そうすれば、そこからきっと抜け出すことができます。そして、周りにそういった助けを求めている人たちがいたら、どうぞその声を聞いて一緒に立ちあがって下さい。
ありがとうございました。