性的虐待から助け出されたフィリピンの少女
JUGEMテーマ:ボランティア
2016年3月28日~4月2日まで、フリー・ザ・チルドレン・ジャパンは、フィリピンへのスタディツアーを開催しました。そのツアー中、私たちの現地パートナーNGOの一つ「プレダ基金」を訪問し、性的虐待や性産業から救出された少女たちが過ごす施設に立ち寄り、そこで暮らす少女たちと交流しました。
その交流の時間で、ビクトリア(仮名)という16歳の少女がなぜ、プレダ基金にいるのかなどを赤裸々に体験を話してくれましたのでご紹介します。
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みなさんこんにちは。私の名前はビクトリア(仮名)です。
今日は、なぜ、私がここプレダ基金の少女のための施設にいるのかを、お話します。
13歳の時、私は叔父に性的な嫌がらせを受けました。
叔母はそのことを知っていましたが、何もしてくれませんでした。
それ以降、私は人生を楽しむことが出来なくなりました。
そして私は、家から逃げ出し、レストランで働き始めました。
11日間働いた後、家に帰りましたが、逃げ出した私を家族はもう受け入れてくれませんでした…。
その後、私は一人の男の人に会いました。
彼は、広場に私を連れて行き、ある成人男性を紹介してくれました。
その男性は、私に食べ物などを提供してくれたので、とても親切な人だと思っていましたが、そうではありませんでした。
2013年12月31日のことです。
私は、その男性から性的な虐待を受けたのです。
性的虐待をするのはその人だけかと思いましたが、彼は私を裏切ったうえに、さらに他の人をも紹介してきました。
私はとてもショックを受け、複数の成人男性からの要求を断ると、彼らは私を家の中に閉じ込めました。
3か月間、私はまるで性的な奴隷のように働かされましたが、その間、お金を受け取ったことは一度もありません。
私はその時、このことを誰にも話すことができませんでした。
しかし、叔母がようやく私を見つけ出し、フィリピン政府の社会福祉保健省に連れて行きました。
彼ら加害者は捕まりましたが、お金を払うので裁判を起こさないよう、叔母と裏契約をしてしました。
叔母はその賄賂を受け取ったことで、私に対して、言うことを聞かなければ殺すと脅すようになりました。
社会福祉保健省がこの違和感に気付き、叔母に対して私に接近禁止命令を出してくれ、私はなんとか助かりました。
その後、カランバン・ガラクナという保護施設でしばらく過ごしました。
3週間過ごしましたが、加害者がその施設を訪れてくるようになり危険なため、より安全なここのプレダ基金の施設に連れてきてもらい、今に至ります。
ここでは様々なセラピーを受けたりして、今では安心して過ごせるようになりました。
私の話を聞いてくれてありがとうございました。
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ビクトリア、勇気を出して自分の体験をシェアしてくれて、本当にありがとう。