─── インダス文明とアーリア人の侵入 ─── インドで最初に生まれた文明は、紀元前2500年~前1800年までインダス川流域(現パキスタン領内)で栄えた「インダス文明」です。その後、インドよりも北の中央アジアの方からアーリア人がインドにやってきて、ガンジス川流域の先住民を支配して住むようになりました。アーリア人は先住民から農耕文化の技術を学び、農作物を生産し商工業を発展させていきました。こうした中、司祭階級(バラモン)を頂点とした身分制度社会がつくられ、カースト制度として今日の生活にもねづいています。アーリア人の侵入以降、多くの王朝が生まれ、優れた仏教美術など文化が繁栄しました。 11世紀初めイスラムの諸王朝が北インドを支配した後、13世紀よりデリーに都を置くデリー・スルタン朝が北インドを支配し、全インドを統一するほどの勢いがありました。一方、南インドでは、10世紀後半ころからタミル系のチョーラ朝が貿易で繁栄し、11世紀には東南アジアまで遠征にいきました。 ──────── ムガル帝国 時代 ──────── 16世紀、イスラム教の君主バーブルが北からインドへやってくると、デリー・スルタン朝を倒して1526年にムガル帝国を建国しました。こうして初めてインドにイスラム帝国ができました。3代皇帝のアクバルは、インドの様々な民族や宗教が調和するように、政治をすすめましたが、6代皇帝のアウラングゼーブは、厳しいイスラム教に基づく統治を行ったために各地で反乱が起き、帝国は衰退していきました。こうして1858年にムガル帝国は滅亡。それに伴い、イギリスがインドにやってきました。 ────── イギリス植民地時代 ────── 1877年、イギリス支配が進み「イギリス領インド帝国」が作られました。イギリスによる植民地化の始まりです。イギリスの政策と支配によりインドの人々は貧しくなっていきました。イギリスはインド人の知識人層を手なずけるため、様々な策を講じますが、イギリスに反発するインド人も現れ各地で衝突が起きました。時が経つにつれて民族運動が盛り上るなか、マハトマ・ガンディーが現れ、ガンディー主導の非暴力独立運動が各地に広がり展開されていきました。 ───────── 独 立 ───────── インドにいるヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いは収まらず、とうとう、イスラム教国家パキスタンと分かれ、1947年8月15日に独立を果たし、インドとパキスタンが誕生しました。 パキスタンとはその後も3回戦争が起きるなどして、対立は現在も続いています。カースト制度(身分制度)による差別は1950年に制定されたインド憲法では禁止されていますが、いまだに人々の考えや生活に密着しています。差別や貧富の格差など課題を多く抱えているインドですが、経済成長による発展を遂げ世界でも非常に注目されています。