フリー・ザ・チルドレン・ジャパンとは

すべては12歳の少年からはじまった

1995年、当時12歳だったカナダ人のクレイグくんは学校に行く前にマンガを読もうと新聞を手にしたところ、ある記事に目をうばわれました。

イクバルの死

「パキスタン人の12歳の少年イクバル・マシー、児童労働(じどうろうどう)反対をうったえ活動していたところ、射殺(しゃさつ)された」・・・イクバルは、とても貧しく生活が苦しいため、両親から引き離され、4歳でじゅうたん工場に売られた。工場では週に6日、1日10時間以上もの労働を強いられていたが、10歳の時になんとか工場からぬけだすことができ、児童労働反対をうったえる活動家として欧米諸国(おうべいしょこく)をまわっていた。しかし、母国パキスタンに戻ったイクバルは何者かに射殺(しゃさつ)された。・・・

 

クレイグ

クレイグくんは、おない年のイクバル少年の死や、自分とのあまりに大きな生活環境の違いを知って、強いショックを受けました。

世界には、たくさんの子どもが貧しさのため、学校にも行けずに働かされていることが分かり、何とかしたいと思うようになりました。

そこで、クレイグくんは同じ子どもの問題なら、自分たち子どもでとりくもうと「フリー・ザ・チルドレン(FTC)」を設立しました。

 

クレイグと初代メンバー

彼はまず、学校の友人に呼びかけました。

「世界では2億人以上の子どもたちがかこくな労働を強いられていて、しかもそのうちの半分の子どもはとてもキケンな環境(かんきょう)で働かされている」

事実を必死に伝えました。

 

クレイグの南アジアへの旅

それから、実際(じっさい)に働かされている子どもたちに会いに行くため、クレイグは中学生1年生になると、南アジアの旅に出かけました。

ところが、クレイグは南アジアで、想像以上に過酷(かこく)な環境で働くたくさんの子どもたちに出会い、
「自分にできることなんてないのかもしれない」と、これから活動をしていく自信をなくしてしまいました。

そんな時に出会ったのが、貧しい人々のために活動を続けるマザーテレサでした。クレイグは、マザーテレサに聞いてみました。「働く子どもたちを助けるために、ぼくにできることはあるでしょうか」すると、マザーテレサは言いました。
「私たちは、いっぺんに世界を変えることはできません。でも、自分にできる小さなことを、大きな愛をもってとりくめば、いつか世界は変わります。」

クレイグくんはマザーテレサからの言葉に勇気をもらい、カナダに戻って、南アジアで出会ったたくさんの働く子どもたちのことを伝えていきました。
 
すると、友人から「そんなことが世界で起こっているなんてしらなかった。何か自分にできることをしたい!」という声が寄せられ、たくさんの仲間が活動に参加するようになっていったのです。

ひとりの12歳の少年から始まったフリー・ザ・チルドレン。

「子どもになんか何もできないよ」、「おとなになってからやれば」と、活動を始めた当初、クレイグは周りからたくさん言われました。それでも、「子どもだって変化を起こせる。子どもだからこそできることがある。」と信じて活動を続けたところ、だんだん仲間が増え、今では45か国以上で370万人の子どもや若者が活動に参加するまでになりました。

その結果、開発途上国に1000校以上の学校を建設し、毎日20万人もの子どもが教育を受けられるようになりました。そして、きれいな水にアクセスできない地域には、井戸を設置し、100万人以上の人々が安全な水を飲めるようになりました。

日本でも活動スタート

日本での活動

1997年アメリカのNGOでインターンをしていた当時25歳の日本人女性(中島早苗 現・代表理事)は、ある日雑誌でフリー・ザ・チルドレンを創設したクレイグの記事を読み、「子どもが子どもを応援する国際協力」という理念に共鳴(きょうめい)し、日本の子どもに紹介しようと帰国後の1999年に日本支部を設立。現在、1,500人もの子どもや若者がメンバーとなって積極的に活動しています。

過去、3回ノーベル賞にノミネートされるなど、世界で認められる団体です。

マザーテレサとクレイグ
マザーテレサとクレイグ

FTC創設者クレイグは、60 Minutes(CNN)などの大手テレビ局の番組に全世界で多数出演し、注目を集めています。クレイグの活動を追ったドキュメンタリー映像は1999年、ニューヨーク・フィルムフェスティバルにおいて、ユネスコ賞の金賞に輝きました。(その映像”It Takes a Child”はFTCJオンラインショップで映像教材として貸出・販売していますのでご覧ください!)

クレイグやFTCの活動は、TIME誌やニューヨーク・タイムズ、シカゴ・トレビューン、ロンドンタイムズ紙など、BBC、トロント・スターなど多くのメディアで報道され全米大手テレビ局ABCでは特別番組として放映されるなど極めて高い評価を得ています。

世界情勢フォーラム賞やルーズベルト・フリーダムメディア賞を始めとする様々な賞を受けました。彼は、スイスで開かれた世界経済フォーラムで、「明日の世界的リーダー」として、またサラエボで、初の子ども大使館の大使として承認されました。2000年以降、過去3回「ノーベル平和賞」にフリー・ザ・チルドレンと創設者で代表のクレイグ・キールバーガーがノミネートされました。また、2002年日本で(財)尾崎行雄記念財団が世界平和の貢献に寄与した人物に与える「咢堂賞(がくどうしょう)」がクレイグ・キールバーガーに授与されました。2006年には子どもに贈られるノーベル平和賞といわれる「世界の子ども賞」 (World Children’s Prize)をクレイグが受賞しました。

カナダのトロント大学で平和紛争学を学んだ後、ヨーク大学シュー リック・ビジネススクールにてエグゼクティブMBAコースを史上 最年少で修了。今までの教育と人権の分野での活躍が称えられ4つ の名誉博士号が授与されました。現在も精力的にFree The Children(現WE) の活動に創設者として従事しています。開発途上国で行っている支援事業にかかわったり、子どもや若者向けに「リー ダーシップトレーニング」を 行ったり、世界各地でスピーチをしたりと世界を舞台に活動しています。

 

 

カナダのFTC(現WE)とわたしたちFTCJの関係

Free The Children(FTC:フリー・ザ・チルドレン)は1995年にカナダ人のクレイグ少年によってトロント(カナダの都市)で設立され、2016年にWEという団体に名前を変えました。組織の名前は変わりましたが、今まで通りの理念「子どもには変化を起こす力がある」は変わらず、その理念を体現するために国際協力活動と並行して、カナダやアメリカ、イギリスなどの子どもや若者へのエンパワーメント活動に取り組んでいくこととなりました。

 

わたしたちフリー・ザ・チルドレン・ジャパン(FTCJ)は、1999年にFTCの理念に共鳴し、カナダのFTCに連絡をとり日本支部として活動するための情報提供を受けながら、任意団体からスタートし、その後NPO法人となり現在に至っています。FTC日本支部としてスタートしましたが、カナダのFTC/WEの下部組織ではなく、運営面、財政面で完全に独立して活動する別組織です。

 

2020年4月、カナダ政府はコロナ禍における学生支援のための助成金プログラムを行うとし、そのプログラムの管理事務局にカナダのWEを任命しました。これを受けて、カナダには多くの青少年育成団体があるのに、なぜWEが選ばれたのか、助成金プログラムを発表したカナダのトルドー首相とWEには不適切なお金のやり取りがあるのではないかと疑問の声をあげる議員が出てきました。そこで、2020年夏~2021年春にかけて、WEの慈善活動を司るWE Charityに関する資金面においてカナダ倫理委員会による調査が行なわれました。その結果、慈善団体としての資金面での違法な流れや使い道は一切無かったことが明らかになりました。

 

しかし、調査では違法な取引は一切なかったものの、これらの一連の流れを受けて、カナダでのWEの活動をこのままの規模で継続することは困難と判断し、2021年8月に組織を整理し見直すことを発表しました。その後は、新たに設立された寄贈基金「WE Charity Foundation」がWEのケニアでの事業を引き継ぎ、それ以外の活動は縮小して実施することになりました。アメリカやイギリスのWEは、今まで同様今後も活動を行っていきます。

 

※2021年8月にカナダのWEは解散をするという発表をしましたが、事業内容をWE Charity Foundationに一部引き継ぎ、整理し組織運営の立て直しを行ったことでWEとして継続することとなり、2022年9月から事業縮小をしてカナダのWEとして活動していくこととなりました。

 

わたしたちFTCJは、カナダのWEとパートナーを組んで国際協力事業や子ども若者育成事業に取り組んでいることから、FTCJの団体ロゴにWEを表していましたが、カナダのWEの組織変革を受け、2021年9月からはFTCJのロゴから「WE」を取ることにしました。ただし、今後もカナダのWEや、WE Charity Founationと連携して活動していく予定です。